日帝時代の匂いがする街 ・ 仁川/인천(インチョン)を旅して
わたしのルーツである本籍地に立つことが出来ました。祖父が生まれ、育ち、家庭を持ち、父が生まれたところ・・・。感無量でした。
レンガ造りの家が並ぶ町並みは韓国の他の地域とは一風違った趣があり、そこには異国の匂いがプンプンします。近所のおばさんたちに、同行してくれた人が「日本から来た人で、この辺りに祖父が住んでいたのでその場所を探してここに来たのだけれど当事のことを知っていますか?」という内容のことを質問すると近所のおばさんたちは「この辺りの建物は古くて70年くらいは経っているよ」と話してくれた。また、「この辺りは上も下も日本人がいっぱい住む日本人街だったよ」と教えてくれたのだけど、よくよく考えて見るとわたしのことを日本人と勘違いしているのだなぁという事に気がついた。もちろん彼女たちに-わたしは日本人でなく日本に住む在日の韓国人でですよ-と説明しようと思ったが彼女たちにとってそんな事はどうでもいいことだろうなぁと思ったので何も言わない事にしました。でもなんとなく疎外感を感じて寂しかったです。
ところで、この建物は古いというけれど祖父たちが住んでいた家ではないかもしれない・・・、という何とも漠然とした気持ちだけれどそう確信していました。父がここで生まれたのが約80年前、祖父がその前から住んでいたことを考えると近所のおばさんたちの記憶が曖昧であったとしても微妙なところかなぁと思う。それにレンガ造りの家に当時の貧乏な朝鮮人が住んでいたとは考えにくいのもこの建物で無いと思える一因でもあるのかなぁと思っています。
港町らしく、海と山に囲まれた街の風景は今わたしが住んでいる港町に良く似ています。
祖父たちが港町を住むところに選んだのは懐かしい故郷を感じられるところだったからなのだと感じました。 過去のまだ日本国の出来る前、朝鮮系の渡来人たちが日本の地で都を築いていった場所も朝鮮半島の故郷の風景に良く似た場所では無いかと言われています。韓国から来た友人も奈良の飛鳥に行った際に「自分の住む田舎の風景に良く似ている」としきりに話していたのを思い出します。
わたしも、-韓国に住むならこの街かなぁ-と漠然とした思いを抱きながら街を観光しました。
カトリックの沓洞/탑동(タプトン)聖堂、築様式は、ロマネスク様式とあります。
外観も中もとても綺麗で荘厳で圧倒されるような感じがしました。
ここは祖父が勉強したところです。朝鮮人であり、貧乏でしかも末っ子の祖父は当然のように学校には行けません。無料で学べるこの教会で祖父は木の枝で土に字を書いて英語・漢詩・日本語などを学びました。その後、この知識は解放後(1945年8月15日)の日本で祖国へ帰るための語学教室を開く素地になりました。탑동(タプトン)聖堂の事務所で「昔の事が知りたい」と話をするとこころよく、탑동(タプトン)聖堂の歴史をまとめた本を下さりました。いい記念品になりました。
港に面した低い丘(応峰山【ウンボン山/응봉산、82m】)の周りをさまざまな文化が取り巻いている事から、その頂上にある公園の事を昔は万国公園(1888年開園)と言っていたそうです。今は自由公園と名を改め(1957年9月)、アメリカの将軍ダグラス・マッカーサーの銅像が港を睥睨(へいげい)しています。(日帝強占下では”西公園”と言われていた)
アメリカの将軍ダグラス・マッカーサーの銅像がなぜここにあるのか?みなさんは知ってますでしょうか?銅像は“仁川上陸作戦”を記念して1957年9月に建立されました。その理由は、朝鮮戦争で南側が窮地に陥った時颯爽(さっそう)と現れて南側を救った救世主として崇めているのです。今でも彼は仁川の港を睥睨しながら北側の侵略を牽制しています。
南北の分断を決定した作戦“仁川上陸作戦”で誰が一番得をしたのか?少なくとも民衆は被害者であり受益者ではありません。アメリカの将軍ダグラス・マッカーサーに泣きついて国を売った李承晩(当時の大統領)とその政府、そして何よりも大きな恩を売り、韓国を手に入れたアメリカでは無いでしょうか?
日本統治下の匂いがプンプンします。今の中区庁舎は日本統治下に置かれた時の仁川府が租界(治外法権の区域)を管理していた仁川理事庁の建物を改築して使用しています。近年、これら開港地に由来する景観や近代化遺産の見直しにより、日帝時代の商社や銀行などが観光資源として整備されるようになり、中区庁舎を中心とする一角は日本の神戸にある異人館通りのような趣のある街として観光の名所となっています。
博物館(日帝時代の第一銀行仁川支店の建物)では1930年代の港のジオラマがあり、また感激してしまいました。父が生まれた当時の風景だからです。-この港から日本に向けて旅立つ時、祖父たちは何を思い、何に期待して旅立ったのだろうか・・・?-もう一度ゆっくりとその場所で物思いにふけってみたいものです。
続いて仁川/인천(インチョン)の街を観光、月尾島/월미도(ウォルミド) は入場料の要らないテーマパークのような所でした。
カップルで行くには最高の場所です。海岸は砂浜は無くゴツゴツとした岩ですが整備されていてゴミも無く清潔でしかも最高の夕日を拝む事が出来ました。目を海から陸に移すと韓国独特の色鮮やかな店舗が並び、その向こうからは賑やかな声が聞こえてきました。
たどり着いてみると遊園地の乗り物からの波のように押し寄せてくるその歓声とその様子を即興で盛り上げてるDJの何ともいえない口調、そして乗り物に乗ってない人たちをも巻き込んだその一帯が叫び声と歓声のもの凄い熱気に満たされていました。当然、屋台もありますがどちらかというと日本の縁日の屋台のように買い食い形式でいわゆる、布張馬車/포장마차(ポジャンマチャ)ではありません。
中華街での夕食、”燕京”という北京料理店でも味は韓国風でした。なんと北京料理なのに四川料理のように辛いのです。でも美味しかった!
韓国で中華料理といえば日本でも韓流ドラマでなじみの자장면(チャジャンミョン)も食べました。
正直、どんな高級中華料理店で食べようがこの味は庶民の味ですね。でもこの仁川の中華街が発祥の地なんですね。
**月尾島とは**
仁川港に浮かぶ島であったが日本統治期には陸続きとなり、1918年以降観光地として整備された。仁川上陸作戦で米軍の主要な上陸地となり、砲爆撃を受けて荒廃した。現在は埋め立てられて半島となり、月尾公園が造成されて観光特区として開発されている。
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**チャジャンミョンとは**
炸醤麺(ジャージャー麺、ジャージアンミエン)から派生した麺料理で、韓国式中華料理の一つ
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