2009年2月9日月曜日


海南島近現代史研究会 第2回定例研究会  http://www.hainanshi.org/


主題:海南島侵略開始・アジア太平洋戦争準備開始70年

1939年2月10日に日本軍が海南島に侵入しました。その7か月後、1939年9月に、ポーランドに、 ドイツ軍が西方から、ソ連軍が東方から侵入して分割占領し、第2次世界戦争が開始されました。 日本政府が2月10日に日本軍を海南島に奇襲上陸させたのは、「紀元節」である2月11日に海南島の首都、 海口を占領することを計画していたからでした。 1939年2月11日、日本のマスメディアは、 海南島奇襲上陸(宣戦布告なしの海南島戦争開始)の「成功」と「紀元節」を大きく報道しました。 


と き:2009年2月8日(日)13時~17時(開場12時半)
ところ:
 大阪産業大学 梅田サテライト・レクチャーA室(大阪駅前第三ビル19階) 

プログラム

【研究報告Ⅰ】 天皇制国家日本のアジア侵略への国家総動員 紀元節・神武天皇陵・八紘一宇

久保井規夫
 日本が海南島侵略を開始していたころ、日本国内では「神武天皇御陵」や「橿原神宮」が国策として拡張され、「八紘一宇」というアジア侵略への国威高揚のスローガンが掲げられ、国家総動員の仕上げがおこなわれていました。
 

【研究報告Ⅱ】 1939年2月10日の世界史的意味

佐藤正人
 国民国家日本が1869年にアイヌモシリの一部(「北海道島」)を植民地としてから70年後、1939年2月に、天皇ヒロヒトと日本政府は、海南島に日本軍を奇襲上陸させました。それからさらに70年が過ぎました。海南島近現代史のなかの日本近現代史と世界近現代史を認識する意味を、みなさんと共に考えたいと思います。
 

【研究報告Ⅲ】 1939年2月、マスメディアは海南島侵略をいかに報道したか

竹本昇
 1939年2月10日に、大阪毎日新聞社は、「今暁・海南島へ奇襲上陸 直ちに猛進撃を開始 宛ら無人の野を征く」という号外を出しました。その「無人の野」における日本軍の犯罪を報道したマスメディアはありませんでした。
 

【研究報告Ⅳ】 2009年、マスメディアは海南島をどのように報道しているか

日置真理子
 70年前、日本人がどのような目的で海南島に上陸したか。そして何をしたのか。まったく振り返ることがないまま、海南島をリゾート目的で利用する日本の報道を取り上げてみます。
 

【研究報告Ⅴ】(予定)  海南島捕虜収容所のオーストラリア軍ガル・フォース  飢えと疫病と重労働  生き証人に聞く

西里扶甬子

参加して

 海南島?どこにあるの?と何も分からないところから始まり、その後多くの情報をさまざまな形で知ることになり、興味を持ち続けて早くも2年近くが過ぎ、ようやくたどり着いた感があります。

 在日朝鮮・韓国人の抱える過去から未来のさまざまな問題に関心を持って来ましたが中国のしかも南方の小さな島での悲惨な事実は旧帝国日本軍が犯した蛮行の殆どがそこにある事を証明してます。
 この事実を広く日本社会や朝鮮・韓国そして中国の人たちに知ってもらわなければなりません。そのために調査・研究しその結果を踏まえてさまざまな行動を起こして来られた事に敬意を表します。

 行動のひとつとして海南島における「朝鮮村」での大量虐殺の事実を韓国の真相究明委員会(2004年3月22日公布)に知らせこの事に対する調査の依頼をしました。
 しかし、この事実を再三訴えたにもかかわらず実質的に何の行動もなされなかったのはとても残念で腹立たしい。
 韓国の真相究明委員会が中国のしかも南方の小さな島であることから軽視しているのであればとんでもない間違いであり、小さな島だからこそ狭い範囲で多くの証拠を得ることが出来る願ってもない場所であると言えると思う。しかも、海南島近現代史研究会が独自に調査した資料もあり、これを無視しているのは韓国の国民に対する背信行為でもある。

 更に許されない事件がある。これらの調査・研究結果の企画・展示の予定(2004年)が目に見えない大きな力(権力)の横槍で中止となった事だ。
 しかもその開催場所は大阪人権博物館(リバティおおさか)である。その後、大阪市市民人権室が「海南島」という言葉に難色を示しているということから大阪人権博物館の理事会で不支持となり延期となった。その公式理由は「調査が不十分」ということだった。
 元々この企画は博物館からの依頼で準備したもので博物館側が何らかの圧力によりそれに屈服し、人権を守るべき側から人権を蹂躙する側についた事をしっかりと私たちは認識しなければならない。

 この問題はここで終わらなかった。今年の2月に大阪人権博物館セミナーとして予定されていた「被差別民衆とアジア・太平洋戦争」が大阪市市民人権室からの「補助事業の目的、内容等が適正とは認められないので・・・」という理由で不受理とされ、博物館側は今後の助成を懸念して事実上、中止となった。
 「内容が適切でない」とはどういう事なのか?元々この企画は博物館側の企画であるという事は博物館が自分たちの目的さえも把握出来ない程度の組織なのかと疑いたくなる。このままでは存在意義をなくし、消滅してしまうのではないかという危惧を抱かざるおえない。
 そのようなことにしては決してならないという思いは人権問題にかかわる人たちや関心のある多くの人たちの共通の思いであると思います。
 人権を踏みにじる側に媚びるのではなく人権を守る側として博物館もともに闘ってくれれば存続価値も高まるし、それでこそ人権を扱う博物館としての真の姿ではないのか?早急に悔い改めて欲しい。