2008年10月28日火曜日

知りたい 在日韓国人の本国国政選挙権~私たちにも1票がある


知りたい 在日韓国人の本国国政選挙権~私たちにも1票がある

■日時…2008年10月25日(土)午後2~5時(開場午後1時半)
■会場…大阪弁護士会館2階ホール
■参加費(資料代)…千円





■Ⅰ部…経過報告
○在日韓国人側(在日韓国人本国参政権連絡会議事務長)
○韓国側(同連絡会議 韓国連絡事務局代表)
■Ⅱ部…講演
○方勝柱(漢陽大学副教授・憲法学)
■Ⅲ部…パネルディスカッション
○文 京 洙(立命館大学教授)
○方勝柱(漢陽大学副教授・憲法学)
○白ピョンギュ(韓国オーマイニュース編集委員)
○林 範 夫(弁護士・在日韓国人本国参政権連絡会議執行委員)
コーディネート
○金シニョン(在日韓国人本国参政権連絡会議副議長)

主催;在日韓国人本国参政権連絡会議

昨年6月韓国憲法裁判所は海外に住む韓国籍を有する同胞の選挙権を住民登録がないことを理由に与えないのは違憲であるとし、今年の12月末日までに韓国の公職選挙法を改正するよう立法府に求める画期的な判断を下しました。次の韓国国会議員選挙(2012年4月)、韓国大統領選挙(2012年12月)には在日韓国人にも選挙権を行使できる歴史的な日が訪れることになります。
ところが、在外同胞にも本国国政選挙権の道が開かれたことについて現在、在日同胞社会においてはその事実すらほとんど知られていないのが現状です。
私たちは、この選挙権をより多くの同胞が活用し、また正しい選挙文化が普及・定着され健全な選挙が行なわれなければならないと考え、今年4月「在日韓国人本国参政権連絡会議」を発足させました。
今回のシンポジウムでは、10数年にわたって在日同胞の本国参政権獲得の問題に取り組んできたこの間の運動の経緯を報告するとともに、各界有識者及び韓国国会議員(出席依頼交渉中)も交え、このことの歴史的意義、課題、差し迫った法改正の行方などを議論していきたいと考えております。



参加者は約30名(スタッフ込み)と少し寂しい。
通訳が未経験者なのだろうかそれとも準備不足なのだろうか韓国語のわからない人は殆ど理解できなかっただろうと思う。
でも資料がしっかりしてたので 内容は把握できたのが救いでした。金信鏞さん本当にご苦労様でした。
まだ、韓国での法案の内容が不確定なので具体的な事柄が確定できないため焦点が絞れず多くの人に周知徹底するための行動は韓国での法案通過を待たなくてはなりません。法案通過後はなるべく早く行動しなければならないと思うのですがさまざまなシュチュエーションに対応した基本対策案がまだのようでした。
本国から忘れ去られた在日がこれで韓国国民として認められるというよりも同じ民族として認められるのだと思いたい。というのは講演をして下さった方勝柱先生が参加者からの質問の中の“棄民”という言葉に対し、“決して国家は国民を見捨てたりしない”という趣旨の話しをされたからです。民主主義とは民衆が国家を形成するのであって国家が民衆の上に立ってはならないと信じているから“決して国家は国民を見捨てたりしない”という趣旨の話しは受け入れられません。ここで言ってほしい言葉は“わが民族は同じ民族であるあなたたちをを見捨てたりしない”です。何も言わなかった質問者は納得したのでしょうか?
本筋とは何の関係もない事柄のようですが少なくともわたしはもっとも大事な事だと思ってます。“棄民”は国家の上にいる民衆に対する不満であり、この意識が今回の本国国政選挙権への漠然とした期待感を生み、この場に参加した動機でありこの漠然とした期待感がどこまで自分の思いと重なるのかを知りたくて参加したのではないかと今は考えてます。そして、韓国国政選挙権は私たちが同じ民族であるという事の証しであり第一歩でもあります。確実に実現するであろう統一された祖国での国政選挙権をもわたしは夢見ています。

2008年10月26日日曜日

第1回 『祖国と在日社会』


第1回 『祖国と在日社会』
私が経験した三度の解放-民族統一を考える
講師: 立命館大学教授 徐勝先生
(立命館大学コリア研究センター長)

1990年釈放されてまもなくの頃一度お会いした事がありましたが、あれから18年経っても民族に対する熱い気持ちは変わらないどころかますます磨きがかかったようで圧倒されました。

李明博政権にとっての失われた10年は民族にとっての平和統一への確実な歩みであり、今でも着実に歩みつづけている、そしてもう既に統一へ向けて歩き始めているのだというこの言葉にわが意を得た気持ちになった。
今の韓国の民衆が戦争しての統一を支持することは既にありえない事だし、このまま不安定な分断の現状を受け入れる事よりも少しずつではあるけれど統一に向かって進んで行く事をだれも拒みはしないだろうと思う。だとすれば統一はもう始まったとする考えは間違っていないと言えると思います。李明博政権になってからの後退りは次の大きな一歩を踏み出すための準備なのだと・・・。そう思うと元気が出て来ます。

独島・日本軍「慰安婦」・靖国 
今日はこの3つの事柄の内、独島と日本軍「慰安婦」については詳しく触れられなかったので次回、機会があればご高説を是非伺いたいと思います。

靖国問題・・・。靖国神社とは侵略戦争の首謀者と被害者を同じ神として祭る特異な神社であり、その目的は被害者への口封じの詭弁であるがため、例外なくその恩恵に浴する事が絶対的条件であるのだと思います。。であるがために分祀や名簿からの削除は決して認めることの出来ない要求として撥ね付けているのでしょう。
今日の講演で朝鮮人や台湾人は外国人なのにどうして合祀されるのかとの問いに当時日本人だったからとの返事が返ってきたといいます。ではどうして朝鮮人や台湾人は遺族年金などの戦後保障はされないかとの問いには今は日本人でないからと答えたといいます。前者は宗教で後者は政治という事で納得できる話しでしょうか?わたしには外国人だから保障する義務はないがその代わり神として祭ってやってるのに何が不満なのかと言われてるような気がしてとても腹立たしく感じるのですが・・・。今でも靖国神社では被害者を侵略戦争の首謀者の盾にして過去の侵略戦争を美化しています。日本人に人としての尊厳があるのならこのような詭弁をいつまでも許していてはならないのではないかと日本人は考えないのでしょうか?
最後に日本経済新聞が入手した富田氏のメモで昭和天皇の靖国参拝発言を紹介します。
昭和天皇が1988年、靖国神社のA級戦犯合祀に強い不快感を示し、「だから私はあれ以来参拝していない。それが私の心だ」と、当時の宮内庁長官、富田朝彦氏(故人)に語っていた。

今日の講演で触れられなかった独島と日本軍「慰安婦」について簡単に紹介します。
独島(トクト)・・・。ただ大きな岩が二つ並んでる小さな岩礁と言ったほうがいいような島が今、取り合いになっている。国家と国家の意地の張り合い。互いの面子を掛けた争いに勝ち負けをつけると将来に大きな禍根を残しそうな怖い問題だと思っています。穏やかな方法での解決が出来る時まで結論はつけないでそっとしておく事は出来ないものでしょうかね。とはいっても私は在日とはいえ韓国人なので韓国人の側から作られた漫画を紹介します。”トクトヤサランヘ”という韓国で作成された漫画です。これを日本の方たちや母国語の出来ない在日韓国人にも見てもらおうと噴出し部分の台詞を日本語に置き換えた簡単な冊子を作成し配っています。
日本軍「慰安婦」問題・・・。最近、妻の影響で関わるようになりましたが、男尊女卑の長い歴史の中でこの問題を正しく理解してもらうには重くまた辛いテーマでもあります。
第二次大戦中の旧日本軍の「慰安婦」問題をめぐり、日本政府に公式謝罪などを求める決議案がアメリカやカナダ・オランダと世界を駆け巡り、日本では兵庫県の宝塚市でも、「日本軍『慰安婦』問題に対して日本政府に誠実な対応を求める請願」が採択されました。この事は大きな力となり活発な活動を支えています。といっても現実は厳しいです。どうか暖かいご支援をお願いします。

下記は連続講座の案内です。
本日はその第1回目です、

兵庫民族文化センター「特別講座」
受講料: 1,000円
場所: 兵庫ひまわり信用組合本店 5F講堂
     〒653-0841 
      兵庫県神戸市長田区松野通1-3-2
主催: 「兵庫民族文化センター」開設準備委員会

テーマ 2008年10月22日(水)
     第1回 『祖国と在日社会』
          講師: 立命館大学教授 徐勝先生
     2008年11月07日(金)
     第2回 『「創始改名」とは何だったか』
          講師: 京都大学教授 水野直樹先生
     2008年11月20日(木)
     第3回 『メタボ対策と健康』
          講師: 朝日診療所医師 姜京富先生

2008年10月21日火曜日

明石初級学校チャリティーフェスタ2008

11月2日(日)、明石初級学校運動場にて「明石初級学校チャリティーフェスタ2008」を開催いたします。例年の「愛校祭」を、理解・交流・共生をテーマにした「朝・日友好の集い」へと趣旨、内容ともに発展させた大イベントです。
 明石市内唯一の民族学校である明石朝鮮初級学校で「異文化交流」してませんか? 

アジア・大阪交流史~人とモノがつながる街~



大阪人権博物館 第62回特別展 アジア・大阪交流史~人とモノがつながる街~

10月15日(水)~12月21日(日)
開館時間:10:00~17:00(入館は16:30まで)
休館日:10月20、24、27日 11月4、10、17、25、28日 12月1、15日

大阪人権博物館
JR環状線「芦原橋駅」下車南へ約600m



特集展示の「日本の歴史と差別問題」では宗教が創り出す差別の仕組みがこんなにも恐ろしいものなのだと改めて感じた。差別は人類が産まれた時点から存在し、今後も無くなる事の無い永遠の課題です。だからこそ常に意識し、啓発し続けることが重要なのです。自分の中にある差別意識の幾つかはやはり宗教的な考えから来ていることで違和感無く受け入れられています。自分自身も回りの両親や兄弟友達までもがそれと気付かない事でも宗教の違う人や生活習慣の違いなどから急に違和感がふきだし、これが差別へと繋がって行くのです。無意識の差別は性質が悪い。罪悪感もなしに人を傷つけることがあるからです。幼い子どもが学ぶ時のように常に無垢のままでいる事がかなうなら、そしてまた、みんながそうであれば差別は無くなるのだろうか?
 大阪は古代、中世から、難波津や堺などの港を玄関口に、中国・朝鮮・琉球、「蝦夷地」などの国や地域、人びとと交流し、相互に影響を与えながら歴史と文化を育んできました。  
 近世においても、経済都市として海路によって日本各地と結びつくと同時に、文化や思想、教育の分野でも新しい流れをつくりだしました。豊臣政権の文禄・慶長の役により、国交が断絶していた朝鮮からの通信使は近世になって再開されました。江戸参府の途中、瀬戸内海を通り大阪で下船し、川船に乗り換えて淀川を上る琉球使節、朝鮮通信使の行列を、大阪の人びとは心待ちにし、歓迎しました。 近代になると、紡績をはじめとする世界の新しい技術を積極的に受け入れた大阪は「東洋のマンチェスター」と呼ばれる日本一の工業都市として発展しました。大阪と朝鮮、沖縄を結ぶ定期航路が開かれたこともあり、朝鮮、沖縄から多くの人びとが仕事を求めて海を越えました。大阪に移動、移住した人びとは、差別を受けながらも大阪の地に生活の場を築いていきました。 本展では、「アジアの玄関口」であった古代から現代にいたる大阪の歴史を資料によってたどります。そして、21世紀をむかえた今、大阪に生きる人びとが築いた歴史・文化から「アジアのなかの大阪」を再発見し、大阪の未来を考えようとするものです。



2008年10月19日(日曜日)劇団タルオルムの公演の合間を利用して見学して来た。
第62回特別展 「アジア・大阪交流史展」と特集展示の「日本の歴史と差別問題」を結局、始まるまでの1時間と終わってからの1時間の合計2時間かけて見てきた。

「アジア・大阪交流史展」では中世の渡来人文化の中でも特に大阪は百済人の王国と言ってもいいくらいの時期があったことが資料を通して確認出来た。
また、琉球との交易も盛んであったようだ。
近世では室町時代以降豊臣秀吉の時代を除くと江戸時代まで友好的な関係は長く続いた事を示す資料が豊富にあった。しかし、日本におけるアジア蔑視感はこの江戸時代から既に始まっていた事が琉球への差別的な対応を見ればわかる。
明治以降の日本は西洋人に対する劣等感の裏返しとしてアジア蔑視に拍車がかかってきた事は資料の中に友好的なものがなくなってくることで実感できる。
劣等感といえばやはり豊臣秀吉であろうと思う。不幸な歴史は劣等感が作り出す極端な蔑視という形でで繰り返されてきたのであればこれほど悲しい事は無い。
アジアの盟主といわれるようになってきた日本国は先の過ちを心から詫びることの出来る度量を見せて欲しい。その後、中世、近世の友好であった時代を彷彿とするような良好な関係を結んで行こうではないかといいたい

2008年10月20日月曜日

劇団タルオルム 第四回公演 「ゆらぐ」(マダン劇「記憶」)

劇団タルオルム


第四回公演 「ゆらぐ」(マダン劇「記憶」) 

  

20081018日(土)14時/19時開演
        19日(日)13時/18時開演
大阪人権博物館 リバティホール
566-0026 大阪市浪速区浪速西3-6-35
TEL
06-6561-5891 http://www.liberty.or.jp/ 

  

  

大阪人権博物館 リバティホールという場所を生かした演出で最初は大阪人権博物館の中庭を舞台にマダン劇「記憶」を演じ、後にリバティホールで「ゆらぐ」を演じた。 

  

雨だとどうしていたのか聞いていないが当日は10月の下旬にしては暖かく、汗ばむ陽気だった。空は雲ひとつ無い青空で日陰では爽やかな風が吹いていた。 

  

演者がチャングを抱えて登場し、演奏するところから始まり、四方の登場口を利用して衣装替えなどしながら登場してくるところが見られるのも野外のマダン劇ならではの醍醐味で物語の時代は1923年の関東大震災の東京から始まります。 

紡績工場で働く女工へ支払われる給金の額が朝鮮人と日本人で差別されている場面では「朝鮮人の癖に、給金を貰えるだけでも感謝しろ!」(台詞は正確でない。)という台詞に亡国の民の恨(ハン)が頭の中をめぐった。炭鉱や橋梁等の土木工事で奴隷のように働かせられた人たちや日本軍により慰安婦とされた人たち・・・。ふと、まったく話しの筋とは関係ないが麻生太郎首相(公演当日)の顔も浮かんだ・・・。 

  

舞台(マダン)では政治家と財界人と軍人がコミカルに皮肉たっぷりに演じていた。重いテーマにこの演出はホッとさせられるし、劇に集中するキッカケになって行った。そしてこれこそが伝統を継ぐマダン劇の真髄ではないかと感じた。

  

休憩の後リバティホールで「ゆらぐ」が始まった。時代は1994年の神戸。結婚式を迎える若いカップルとその家族を中心に物語は進みます。かつて関東大震災を経験した若き女工は70年の時を経てこの後1995117日の阪神・淡路大震災に遭遇する。そして彼女はひ孫の誕生とともに息を引き取る。 

  

この設定が特別なものではなくごく普通に生活する在日朝鮮人の子孫たちのひとコマを切り取った場面の連続である事は50年生きて来たわたしの人生と重なるさまざまなエピソードでも確認出来ました。 

  

わたしの父方の祖母は1910年産まれで1923年の関東大震災当時、十三歳でした。当時、女工だった主人公とほぼ同じような年代ではなかったのかと思います。わたしの父方の祖母は日本に来るのは1932年(昭和7年)、わたしの父を産んで直ぐだったそうなので関東大震災の時、日本に居ませんでしたが1995117日の阪神・淡路大震災ではショックからかその年の夏に他界しました。また母方の祖母はなくなる前、日本語がわからなくなって来ていました。 

  

わたしの妹が阪神・淡路大震災の当時、身篭っており、産み月が2月の予定でしたが旦那の父親が地震のショックで亡くなったりわたしや両親が被災したりした事によるストレスから早産します。そして2年後、わたしの父は他界します。 

  

今回の演劇ではマダン劇「記憶」で感動し、「ゆらぐ」ではその場から逃げ出したいほどの衝動に駆られました。在日の暮らしに根を張る劇団の姿勢は時にはこんなにも当事者にはつらいものになるとは思いませんでした。それだけ今回の演目はわたしにとっては完成度の高いものだったのでしょう。

2008年10月12日日曜日

日本軍『慰安婦』被害女性に、今こそ正義の光を!

真実を知って声をあげよう!10・11学習会へ!
日本軍『慰安婦』被害女性に、今こそ正義の光を!

場所: 阪急豊中駅隣のビルのすてっぷ5階ホール
日時:10月 11日 (土), 13:00 ~ 16:00
主催:日本軍『慰安婦』被害女性と共に歩む
    大阪・神戸・阪神連絡会

講師として本日講演していただく予定だった元参議院議員で参議院の副議長を務められた本岡昭次さんは病気のためにお話しを聞けなかったのは残念でした。
本岡昭次さんは社会党当時、元慰安婦であると韓国で名乗りを上げるきっかけとなった日本軍「慰安婦」問題についての質問を参議院予算委員会で初めて取り上げた人であり、当時の政府の答弁が被害女性の1人が名乗りを上げる直接のきっかけとなった。しかし、1992年1月中央大学の吉見義明教授が日本軍による慰安婦設置の公文書を発見することにより、このことが調査を経て1993年の河野洋平官房長官談話へとつながっていくことになった。

もう1人の講師である戸塚悦朗さんは現在龍谷大学法学部教授をされており、国連中心に活躍されている元弁護士で日本軍性奴隷問題と国際人権法・人道法違反等について研究されてきたことで韓国の韓国女性団体連合会「女性賞」を受賞されています。
そして、今現在も本岡昭次さんとともに作り上げた「戦時性的強制被害者問題の解決の促進に関する法律案」の実現に向けて努力されています。

元々うちわの学習会として企画されたものの会場が154名入る大きなホールしかなくホール内は少し寂しく感じましたが40名を越す参加者でした。また、戸塚悦朗さんの著書である「日本が知らない戦争責任」は用意した10冊が完売するなど関心度の高い人たちが集った内容のあるいい学習会でした。
また、終了後の第二会議室(交流会)では話しは更に盛り上がり、コーヒーのお代わりを繰り返しながら2時間以上続いた。

「兵庫アンニョンフェスティバル2008」~出会い、ふれあい、同胞愛~

■「兵庫アンニョンフェスティバル2008
~出会い、ふれあい、同胞愛~

日 時:10月5日(日)11:00~15:00【入場無料】
会 場:須磨海浜公園(雨天中止ー少雨決行)
・メインステージ(ウリハッキョ学生公演・歌舞団公演 など)
・同胞たちの参加する競技(ビーチバレー・囲碁大会 など)
・こども広場(ふわふわ、くじ引き など)
・売店(チヂミ・カルビ丼・イカフェ など)
・大抽選会(特等⇒オーストリアペア旅行 など)
主 催:兵庫アンニョンフェスティバル実行委員会

雨天中止?
朝から大雨で結局終了の午後3時まで止むことなく雨は降り続けた。


朝から大雨の時点で“天気予報では昼までは雨は降らない”と言ってたのにと不満を言っていてもお天とうさんには敵わない。恨めしい気持ち一杯に決断した。もう準備は終わっているし今さら中止できない!決行しよう!・・・・・・・。


という事で決行は決まったらしい。
でも二千人近い人たちが参加し、盛況のうちに幕は閉じた。
舞台ではいくつかのプロhグラムが取りやめになるなど残念な面もあるが
テントの下で肩を突き合わせながらの会話は苦境をともに乗り越える同志の間にある
連帯感に似た仲間意識が感じられた。
晴れていれば須磨海浜水族園に遊びに来た家族連れやカップルなども
参加してくれてたのかなぁ?とも思う。
この祭りは日本の方にも参加してほしいという意図もあると聞いているが
進行に朝鮮語が多いと日本人や朝鮮語のわからない人には参加しにくいのではないだろうか?
そして抽選の当選結果を支部単位で集約すると聞いたがそうすると組織以外の人たちは当選の確認が出来なかった場合無効になるということなのか?不公平感が何とも悲しい。
いろいろな問題点もあるがこれらは次回以降に修正することは可能である。
しかし、雨だけはどうしようもない。
でも、この雨での成功は今後の私たち在日の将来を占う上でも最大の成果である。
わが民族の悲願である祖国統一の早期実現の最後の苦難をともに乗り越えましょう。

上映会「ドキュメンタリーする快楽」で「中村のイヤギ」初上映

上映会「ドキュメンタリーする快楽

日 時 :2008年(平成20年)10月5日(日)午前10時〜午後6時 
場 所 :とよなか男女共同参画推進センター 
すてっぷホール 
上映作品:初監督5人(女性3人を含む)のドキュメンタリー作品 
チケット: 1部500円(プログラムABC3部制 各プログラム入れ制) 
主 催 : 「ドキュメンタリーする快楽」上映会実行委員会





(第1部)
10:15- プログラムA開場 
10:30- 開会の挨拶 
10:35- 「中村のイヤギ」上映
11:45- 
張領太監督の挨拶

ドキュメンタリー映画とは歴史の1ページを切り取った貴重な歴史の証言者であり、二度と見れない風景や人物そして発言の貴重な資料であると思います。それゆえに表現には十分な注意とバランス感覚が必要であると思います。今回の初演カット(構成)では残念ながら合格点は挙げられない。厳しいかも知れませんがこの映画の持つ重要性からすると更なる修正が不可欠であると感じたからです。終了後、監督の張領太さんには率直な意見を言わせてもらいました。この文章では何がどうだめなの?と思われたと思いますが一部不適切な表現があった事という表現だけにしておきます。
監督の張領太さんはこの「中村のイヤギ」の他に現在進行中の「京都・ウトロ」があるようですが編集する上で一番気をつけてほしいのが”十分な注意とバランス感覚”であるという事です。
今後の活躍を応援します。


(第2部)
突風エルストはゆく」上映 
「ゆうと〜踏み出す勇気をくれるもの〜」上映 
(第3部)
「真層」上映 
「きれない糸」上映