2009年6月22日月曜日

神戸在日コリアン保護者の会 第19回オープンセミナー

神戸在日コリアン保護者の会 第19回オープンセミナー

それぞれの保護者会活動をふりかえって~奈良・大阪・神戸からの報告

1990年代に入り、関西を中心に各地で在日コリアンの親たちによる<保護者会>が相次いで結成されました。
神戸でも当時の神楽小学校の教室を借り、わずかな親とその子たちだけの小さな集まりでしたが、子どもの成長、将来、学校への不安、悩みなどを「在日」としての自身を振り返りながら、親として何ができるのか、誰に話しをし、どうすればよりよい教育環境を作ってやることができるのかなど、それぞれが思いいっぱいで語り合ったことが今でも鮮やかに思い出されます。あれから20年近くが経ちました。すべきこと、したいことの多さと困難に非力を実感したことは数え切れないほどありますが、この間、各地の保護者たちの取り組みは、互いを励まし地域を越えた交流につながり、また多くの先生方との出会いのなかで、現場での教育実践や教育施策へと実を結んでいくなど、たくさんの成果を生み出してきました。そしていま。私たちは、世代交代のなかでの在日コリアンのいっそうの<多様化>と、在日外国人の急増に伴う日本社会の多民族多文化化の急速な進展などを背景に、新たに様々な課題に直面しています。

今回のセミナーは、それぞれの地域で保護者たちが取り組んできたことを改めて振り返りながら、現状と課題を率直に語り合い、また各地から来た子どもたちにとっても相互の交流・仲間作りの場になればと願っています。

(1部)各地からの報告…奈良・在日外国人保護者の会
              同胞保護者連絡会(大阪)
              神戸在日コリアン保護者の会
 (2部)フリートーク…… 在日外国人保護者から
              学校現場から
               民族教育の現場から
(子ども交流会~作って食べようコリアン料理)
…セミナーと同時進行で子ども交流会をします。料理実習&交流ゲームなどです。
持ってくるもの…エプロンなど
参加費無料です。

○日時:2009年6月21日(日)午後1時半~(開場・受付午後1時~)
○会場:神戸市立長田南小学校
(JR又は地下鉄の新長田駅を東へ約900m、あるいは高速長田駅を南西へ約900m)
○資料代:300円
□主催:神戸在日コリアン保護者の会
□共催:コリア教育文化センター
□お問い合わせ先:コリア教育文化センター:
korea_uriecc@ybb.ne.jp
   神戸市長田区北町1-45 小西ビル202 TEL/FAX 078-521-3855又は 090-3671-1370


20年近い年月は産まれたばかりの子が成人する年月です。
この間、何が変わり、何が変わらなかったのかそして今後についてそれぞれの団体の活動を振り返りながらの発表となりました。
特別永住権を持つ在日コリアンのこどもたちの親たちが『子どもの成長、将来、学校への不安、悩みなどを「在日」としての自身を振り返りながら、親として何ができるのか、誰に話しをし、どうすればよりよい教育環境を作ってやることができるのか・・・』などの思いから始まった各地の保護者の会の現状は奈良の橿原オリニ会の紙芝居の中にも出てきました。それは単なる在日(特別永住権を持つ在日コリアン)のこどもたちだけでなく父親または母親どちらか片方がが日本人または韓国人(朝鮮人)のダブル(以前はハーフと表現されてた)。在日の中にもオールドカマー(特別永住権を持つ在日コリアン)とニューカマー(最近、日本に来た人)の違いがあったり、ウリハッキョ(朝鮮学校)出身者や日本の学校だけで教育を受けた人と多種多様で、しかも、コリアンだけでなくヴェトナムの人たちもクローズアップされて来てます。

親の持つルーツのアイデンティティーもさまざまで親自身が“ダブル”であったり“ミックス”であったりと多様化していてその子たちが複数あるルーツのアイデンティティーをどう捕らえて、どう今後生きて行くのか?そしてどのような意味があるのかは親も子も予測のつくものではないと思う。では、親として何をこどもたちに与え、育むのか?ここに集う保護者のみなさんはそれに対する判断をされたみなさんであり、少なくとも20年近く活動し、成果を残して来られました。
わたしはその事に敬意を表したいと思います。
それでは何がどう変わって来たのでしょうか?
神戸の場合、最初は韓国・朝鮮籍のこどもたちだけを対象にしてたのが、日本籍であってもコリアンのルーツをもつこどもたちにまで広がり、今では関係なく受け入れています。この変化は学校側の意向や当事者であるこどもたちの意向が積み重なり、現状を作り出して来たのでしょう。これはこの取り組みが根付いて来ている良い兆候ではないかと思います。しかし、このこどもたちが小学校を卒業するとそこには保護者の会が存在しない現実があります。それでも、小学校を卒業したこどもたちは定期的に集まり続けています。この子たちのこの行為は大きな第一歩です。子どもたちが望めば学校側も無視できないのではないかという思いや親子がともに情熱をもってあたれば実現可能ではないかとの期待が生まれます。中学校の保護者の会は大阪の大池中学校で実現し、親たちの情熱がとても充実している事は大いに励みとなるのではないかと思います。

この子どもたちが高校生になったらそこに受け皿はあるのだろうか?
この事は中学校以上に難問で地域から遠く離れる場合も有り、1970年代から多くの高校で設立された「朝鮮文化研究会」やその後の「韓国文化研究会」などが今、どれだけ存在するのかといえばほとんどその活動を聞くことがない今、そういった学校に入学する事はよっぽどの意思がない限り、難しい。
という事は、彼らがどこの高校に進学しようと入学した学校でサークルを立ち上げ横の連体を保ち続ける事が出来たならば一応の完成形を見る事が出来るのではないかと期待している。

そういった学生たちを今の保護者の会の人たちが支援し続けることは改めて言うまでもない事だと思う。
そして彼らが親となり、保護者会を支え、運営してくれる日が来るのを楽しみにしてます。

2009年6月3日水曜日

「丹波マンガン記念館」閉館パーティー




「丹波マンガン記念館」閉館パーティー    於:丹波マンガン記念館     10:30~16:30 


http://www6.ocn.ne.jp/~tanbamn/

<アクセス>
JRバス「高雄・京北線」京都駅発「周山行き」で『周山』バス停下車。
その後「京北ふるさとバス」で「下中」バス停下車、徒歩。
丹波マンガン記念館の所在地 〒601-0533 京都市右京区京北下中町西大谷45

NPO丹波マンガン記念館は、1989年5月に開館し2009年5月31日を以て閉館します。
5月31日以降は見学(団体客含)は見学をお断りしています。
5月31日丹波マンガン記念館にてAM10時30分より開催します。

丹波マンガン記念館は、初代館長である李貞鎬さんによって、1989年5月に開館されました。

李貞鎬さんはじん肺のため1995年3月に没しましたが、彼の思いは、家族の献身的な努力と負担で20年にわたって受け継がれ、維持されてきましたが、個人の力ではもはや継続は困難となり、李貞鎬さんのご子息である李龍植館長は、やむをえず「閉館」という苦渋の選択をされました。



追悼式      マンガン記念館「閉館式」(鎮魂の集い)

鎮魂の舞台   コリア舞踊 金仁姫(キムイニ)さん、趙恵美(チョヘミ)さん

鎮魂の舞台   「鎮魂と新たな門出」の歌 新井英一さん

鎮魂の舞台   京都朝鮮初級学校生徒のみなさんの歌

          李龍植館長のお話しの後、閉会です。

韓国での報道です。

NAVERニュースより -森川静子さんの翻訳文を流用させていただきました。-

 http://news.naver.com/main/read.nhn?mode=LSD&mid=sec&sid1=104&oid=001&aid=0002689723


日本唯一の強制徴用記念館結局門を閉ざす

 

在日僑胞運営“丹波マンガン記念館”累積赤字のため閉館

(大阪=聯合ニュース)キム・ビョンギュ特派員=

日本唯一の強制徴用の記念館である「丹波マンガン記念館」が、日本の現地の存続の努力にもかかわらず、結局閉館された。丹波マンガン記念館(館長 李龍植(イ・ヨンシク)) は31日、京都府北部に位置する記念館内の資料室で閉館式を行い、記念館の運営を打ち切った。

丹波マンガン記念館は、強制徴用で連れて来られた李館長の父 李貞鎬(イ・ジョンホ、(1995年逝去)氏が、1989年に、日帝の強制徴用の歴史を記録するために、自身が働いていた鉱山に造った記念館で、日本に一つしかない強制徴用関連の記念施設だった。

 記念館は、強制徴用労働者たちの姿を坑道の中に再現した展示場と、労働者たちの証言資料などを紹介した資料館などを備え、強制労働のつらい歴史を知らせる役割を果たしてきた。
この間、李氏父子が私費を投じて運営してきたが、毎年600万円(約7,800万ウォン)づつの赤字のため、資金難に陥ってきた。

このような事実がマスコミを通して外部に知られる事により、現地では民間で存続のための募金活動が展開された。
京都所在の大学教授たちを中心にした日本の市民たちは、閉館の危機のニュースを聞いて、今年3月に「丹波マンガン記念館を再建する会」(以下 再建会)をつくって募金活動を繰り広げてきた。

また、駐大阪韓国総領事館も、記念館の鉱石を買う方法で、間接支援に乗り出した。

しかし、不景気の影響で、募金額が期待した額に及ばず、記念館側は、結局閉館を決定することになった。
李館長は、「どうにかして記念館を生かそうとしたが、結局、私の力で続けて記念館を運営するのは力不足だと判断をした」、「炭鉱で働かされて亡くなった年配の方たちの事を考えると、胸が痛みますが、やむを得ず閉館を決定した」と語った。
彼は、「記念館で保管していた資料は、民団が運営する博物館に寄贈する計画だ」、「記念館は門を閉めるが、著述活動などを通して、当時の苦痛の歴史を人々に知らせる努力を続けるつもりだ」と語った。
この日の閉館式には、マンガン鉱山に青春をささげた在日同胞1世代の人たちに対する追悼式と、鎮魂のための舞踊公演、コンサートなどもともに行われた。
再建会の事務局長の龍谷大学の細川孝教授は、「日本で多くの方々が記念館存続のために募金に参加したが、期待ほどの結果が得られなかった」、「記念館が閉館にはなったが、今後志を同じくする日本国内の学者たちとともに、日本の加害の歴史に対する調査を続ける計画だ」と語った。






わたしは、閉会を見届けることなく京都府立ゼミナールハウスでのシンポジュウムに参加しました。



<午後の部> 13:30~16:30 於:京都府立ゼミナールハウス
丹波マンガン記念館を再建する会・第2回総会
記念シンポジュウム「丹波マンガン記念館の意義と可能性」
参加費:未定(決まり次第お知らせします)
主 催:丹波マンガン記念館、丹波マンガン記念館を再建する会
問い合わせ:丹波マンガン記念館を再建する会事務局
電話075(645)8634、e-mail:
hosokawa@biz.ryukoku.ac.jp

 

☆府立ゼミナールハウスの所在地 〒601-0533 京都府京都市右京区京北下中町鳥谷2
<アクセス>「周山」バス停から「京北ふるさとバス」で「ゼミナールハウス」または「京北病院前」バス停下車、徒歩。


府立ゼミナールハウスでの「丹波マンガン記念館を再建する会・第2回総会」では解散をするのではなく後、一年はこのまま行くという報告がありました。この継続に何の意味があるのか理解できませんでしたが部外者のわたしが口を挟む事ではないと思い最後まで静かに聞いていましたが司会者の“シャンシャン総会はいやだ”という言葉とは裏腹に見事なシャンシャン総会でした。追悼式では“丹波マンガンを研究・歴史を残す会”に名称を改めるとありましたがその事には一度も触れられませんでした。しかもこの総会にそしてこの後のシンポジュウムにも館長の李龍植さんの参加がありませんでした。この会は誰のために何のために活動して来たのでしょうか?そして今後一年も誰のために何のために活動して行くというのでしょうか?

シンポジュウムでは生徒たちに強制徴用などの事実を自ら副教材を駆使しながら精力的に伝えてる地元の高校教師の話しに興味が湧きました。ご本人ともお話ししましたが「是非、先生の後を継ぐ先生を指導・育成して行ってください。」とエールを送りました。このシンポジュウムで何かをまとめる事をしなかったので内容に関する報告はありません。