2009年6月3日水曜日

「丹波マンガン記念館」閉館パーティー




「丹波マンガン記念館」閉館パーティー    於:丹波マンガン記念館     10:30~16:30 


http://www6.ocn.ne.jp/~tanbamn/

<アクセス>
JRバス「高雄・京北線」京都駅発「周山行き」で『周山』バス停下車。
その後「京北ふるさとバス」で「下中」バス停下車、徒歩。
丹波マンガン記念館の所在地 〒601-0533 京都市右京区京北下中町西大谷45

NPO丹波マンガン記念館は、1989年5月に開館し2009年5月31日を以て閉館します。
5月31日以降は見学(団体客含)は見学をお断りしています。
5月31日丹波マンガン記念館にてAM10時30分より開催します。

丹波マンガン記念館は、初代館長である李貞鎬さんによって、1989年5月に開館されました。

李貞鎬さんはじん肺のため1995年3月に没しましたが、彼の思いは、家族の献身的な努力と負担で20年にわたって受け継がれ、維持されてきましたが、個人の力ではもはや継続は困難となり、李貞鎬さんのご子息である李龍植館長は、やむをえず「閉館」という苦渋の選択をされました。



追悼式      マンガン記念館「閉館式」(鎮魂の集い)

鎮魂の舞台   コリア舞踊 金仁姫(キムイニ)さん、趙恵美(チョヘミ)さん

鎮魂の舞台   「鎮魂と新たな門出」の歌 新井英一さん

鎮魂の舞台   京都朝鮮初級学校生徒のみなさんの歌

          李龍植館長のお話しの後、閉会です。

韓国での報道です。

NAVERニュースより -森川静子さんの翻訳文を流用させていただきました。-

 http://news.naver.com/main/read.nhn?mode=LSD&mid=sec&sid1=104&oid=001&aid=0002689723


日本唯一の強制徴用記念館結局門を閉ざす

 

在日僑胞運営“丹波マンガン記念館”累積赤字のため閉館

(大阪=聯合ニュース)キム・ビョンギュ特派員=

日本唯一の強制徴用の記念館である「丹波マンガン記念館」が、日本の現地の存続の努力にもかかわらず、結局閉館された。丹波マンガン記念館(館長 李龍植(イ・ヨンシク)) は31日、京都府北部に位置する記念館内の資料室で閉館式を行い、記念館の運営を打ち切った。

丹波マンガン記念館は、強制徴用で連れて来られた李館長の父 李貞鎬(イ・ジョンホ、(1995年逝去)氏が、1989年に、日帝の強制徴用の歴史を記録するために、自身が働いていた鉱山に造った記念館で、日本に一つしかない強制徴用関連の記念施設だった。

 記念館は、強制徴用労働者たちの姿を坑道の中に再現した展示場と、労働者たちの証言資料などを紹介した資料館などを備え、強制労働のつらい歴史を知らせる役割を果たしてきた。
この間、李氏父子が私費を投じて運営してきたが、毎年600万円(約7,800万ウォン)づつの赤字のため、資金難に陥ってきた。

このような事実がマスコミを通して外部に知られる事により、現地では民間で存続のための募金活動が展開された。
京都所在の大学教授たちを中心にした日本の市民たちは、閉館の危機のニュースを聞いて、今年3月に「丹波マンガン記念館を再建する会」(以下 再建会)をつくって募金活動を繰り広げてきた。

また、駐大阪韓国総領事館も、記念館の鉱石を買う方法で、間接支援に乗り出した。

しかし、不景気の影響で、募金額が期待した額に及ばず、記念館側は、結局閉館を決定することになった。
李館長は、「どうにかして記念館を生かそうとしたが、結局、私の力で続けて記念館を運営するのは力不足だと判断をした」、「炭鉱で働かされて亡くなった年配の方たちの事を考えると、胸が痛みますが、やむを得ず閉館を決定した」と語った。
彼は、「記念館で保管していた資料は、民団が運営する博物館に寄贈する計画だ」、「記念館は門を閉めるが、著述活動などを通して、当時の苦痛の歴史を人々に知らせる努力を続けるつもりだ」と語った。
この日の閉館式には、マンガン鉱山に青春をささげた在日同胞1世代の人たちに対する追悼式と、鎮魂のための舞踊公演、コンサートなどもともに行われた。
再建会の事務局長の龍谷大学の細川孝教授は、「日本で多くの方々が記念館存続のために募金に参加したが、期待ほどの結果が得られなかった」、「記念館が閉館にはなったが、今後志を同じくする日本国内の学者たちとともに、日本の加害の歴史に対する調査を続ける計画だ」と語った。






わたしは、閉会を見届けることなく京都府立ゼミナールハウスでのシンポジュウムに参加しました。



<午後の部> 13:30~16:30 於:京都府立ゼミナールハウス
丹波マンガン記念館を再建する会・第2回総会
記念シンポジュウム「丹波マンガン記念館の意義と可能性」
参加費:未定(決まり次第お知らせします)
主 催:丹波マンガン記念館、丹波マンガン記念館を再建する会
問い合わせ:丹波マンガン記念館を再建する会事務局
電話075(645)8634、e-mail:
hosokawa@biz.ryukoku.ac.jp

 

☆府立ゼミナールハウスの所在地 〒601-0533 京都府京都市右京区京北下中町鳥谷2
<アクセス>「周山」バス停から「京北ふるさとバス」で「ゼミナールハウス」または「京北病院前」バス停下車、徒歩。


府立ゼミナールハウスでの「丹波マンガン記念館を再建する会・第2回総会」では解散をするのではなく後、一年はこのまま行くという報告がありました。この継続に何の意味があるのか理解できませんでしたが部外者のわたしが口を挟む事ではないと思い最後まで静かに聞いていましたが司会者の“シャンシャン総会はいやだ”という言葉とは裏腹に見事なシャンシャン総会でした。追悼式では“丹波マンガンを研究・歴史を残す会”に名称を改めるとありましたがその事には一度も触れられませんでした。しかもこの総会にそしてこの後のシンポジュウムにも館長の李龍植さんの参加がありませんでした。この会は誰のために何のために活動して来たのでしょうか?そして今後一年も誰のために何のために活動して行くというのでしょうか?

シンポジュウムでは生徒たちに強制徴用などの事実を自ら副教材を駆使しながら精力的に伝えてる地元の高校教師の話しに興味が湧きました。ご本人ともお話ししましたが「是非、先生の後を継ぐ先生を指導・育成して行ってください。」とエールを送りました。このシンポジュウムで何かをまとめる事をしなかったので内容に関する報告はありません。

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