2009年8月18日火曜日

鉄原DMZ-その2 スンイル橋



鉄原DMZ-その2 スンイル橋

わたしたちが次に向かったのが“スンイル橋”です。漢灘江(ハンタンガン)の中流地点に架っている高さ 35m、長さ120m、幅6mの橋です。隣接する公園には説明の看板等があり、河川敷まで下ると楼閣があり、新・旧の橋を間から眺める事が出来ます。ちなみに新しい方の橋の橋脚に兵士がいて漢灘江(ハンタンガン)を眺めていたように見えたが実は歩哨なのかも知れないなぁ・・・と感じました。確かめる事は出来ないがただぶらりとやって来たのではないでしょ・・・?。
李時雨(イ・シウ)さんの説明を聞きながら、どちらも軍事目的とはいえ偶然にもちょうど真中で南北が繋がったこの橋を眺めながら渡って見たいなぁ・・・という衝動に駆られました。説明が終わり駐車場へ向かう途中、ふと振り返ると橋への道は閉鎖されておらず行ける事がわかったので案内の李時雨(イ・シウ)さんに渡れるのか聞いてみると簡単に『いいですよ、行きましょうか?』という。少し拍子抜けがしたがみんなで早速、橋を渡り始めました。橋の袂には円筒形のコンクリートで作られた見張り番所がある。そのまま進んで橋の中央まで来て、その境目を挟み、みんなで握手しその姿を記念写真におさめました。本物の境界線を跨ぐ事は出来ないけれどこの橋では跨いで記念写真を撮れます。最高の記念写真スポットです。

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“スンイル橋”
現在、東松邑と葛末邑の境界で漢灘江(ハンタンガン)の中流地点に架っている高さ 35m、長さ120m、幅6mの橋です。
共産治下の1948年8月から、この道路を軍事要塞として活用しようと鉄原及び金化地域の住民たちを5日間交代制で「労力工作隊」という名目の下で動員し長興里側から工事をしていた所、橋の半分ほどを推進した状態で朝鮮戦争により工事が中断されました。
戦後、韓国政府で少々異った特色の工法により残りの区間(橋の半分の東側)の工事を行い、1958年12月3日に竣工して「スンイル橋」と命名されました。
スンイル橋の名前に関しては2種類の説が伝わっています。
ひとつは南北の合作で完成した橋なので、李承晩(イ・スンマン)大統領の「承」の字と金日成(キム・イルソン)の「日」の字を合わせて「承日橋」としたと言い、もうひとつは軍部で主張する「昇日橋」ですが、これは朝鮮戦争の当時に漢灘江を渡り北進中に戦死した故・朴昇日(パク・スンイル)を称えるために命名したという話があります。
1999年8月11日にスンイル橋のすぐ横の南側に、現代式の工法によるアーチ型の鉄条構造の橋梁を開設し「漢灘(ハンタン)大橋」と命名しました。
従来のソンイル橋は登録文化財第26号(2002.5.27)に指定・管理され、現在は通行が禁止されています。
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