2009年1月22日木曜日

日本軍『慰安婦』問題の解決を求める 水曜デモ

水曜デモin長田 
―日本軍『慰安婦』問題の解決を求める 水曜デモ―

2009年1月21日(第三水曜日)記念すべき第一歩を踏み出しました。
初日とあってさまざまな支援者たちや友人、団体の方たちが雨にもかかわらず13名の方たちがデモに参加してくれました。
用意したチラシ300枚を撒き切ったのと終了とがほぼ一緒で幸先のいい初日でした。
雨の中、帰宅される方たちや出かける方たち、たくさんの方たちがチラシを受け取ってくれました。チラシを受け取ってくださった方には思わず“ありがとうございます”と言ってました。
そして参加して下さった皆さん!雨の中ありがとうございました。風邪を引かれませんようお気をつけください。
そして、来月の第三水曜日午後6時30分より1時間一緒に頑張りましょう。

日本軍「慰安婦」問題の解決を求める水曜デモとは?
日中戦争(十五年戦争)・アジア太平洋戦争中、日本軍は兵士たちの性的欲求を満たすため「慰安所」をつくり、
植民地や占領地にいる数多くの女性たちを強制的に性奴隷としました。
「慰安婦」とされた女性たちは、繰り返し性暴力と虐待を受けました。
日本の敗戦により解放されたはずの被害女性たちは、日本軍兵士に無理やり性行為を強要され、
辱められたことを誰にも言えずに長い間生きるしかありませんでした。
しかし日本軍の関与はなかったという日本政府の対応に、90年代になって一人、二人と名乗りを上げ事実を話し始めました。
それにより日本社会においてもやっと日本軍「慰安婦」の存在が知られるようになりました。
被害女性たちは日本政府に、真相究明、公式謝罪、国家賠償、責任者処罰などを求めて声を上げ始め、
韓国では日本大使館前で1992年1月8日から毎週水曜日にデモが続けられてきています。
私たちも、すべての日本軍「慰安婦」問題の被害女性と連帯すべく第3水曜日に水曜デモを行います。
街頭でアピールビラ配りやプラカードやパネルを展示、署名集めなどの行動を行います。是非ご参加ください。

● 毎月第3水曜日 午後630分から730

● JR新長田駅・地下鉄新長田駅南側出口すぐ

2009年1月10日土曜日

새해 복많이 받으세요(あけましとめでとうございます)

새해  복많이  받으세요(あけましとめでとうございます)

在日活動カレンダーでは活動初めが7日の水曜行動です。
日本軍『慰安婦』問題 に関する大阪での水曜行動が今年の最初でした。
今年から神戸の新長田でも水曜行動が始まります。
第一水曜日が大阪
第二水曜日が西宮北口
第三水曜日が新長田です。
いづれも、午後7時から一時間しています。
新長田の初日は1月21日です。皆さんの参加をお待ちしています。

カレンダーにはありませんが毎年、路上生活者の支援のために年末から年始にかけて行政が無慈悲にも見捨てている路上生活者を1人でも多く救済しようという取り組みが各地で地道に行われています。
昨年末から社会現象となっている派遣切り等による失業者の救済のための取り組みとは違い地に足のついた取り組みです。

イスラエルによるガザ地区へのテロに抗議する行動が活発化しています。
1月8日(木)三ノ宮においてイスラエルによるガザ地区へのテロに抗議する行動が行われました。
趣旨は以下のとおりです。

(趣旨)
今ガザで起きていることは戦争ではありません。イスラエルという無法国家が
一方的に、ライフラインを脅かされた150万の市民を封じ込めて殺しています。
イスラエルやアメリカはハマスのロケット攻撃のせいにしますが、ウソです。
イスラエルは半年前からこの攻撃を準備してきました。4年前からガザの人々
を封じ込めて命を脅かし続けています。そもそも、暴力でテロはなくなりません。
イスラエルはガザ市民を殺すな!
アメリカはイスラエルを擁護するな!
日本政府は、イスラエル当局を国際刑事裁判所に告発し、アメリカにも抗議を!
私たちは、パレスチナYWCAがよびかけた1月8日の国際連帯行動に応じ、行動します。

同じ日(1月8日木曜日)、ピースメッセージ長田がラスト2回を迎えました。
【メッセージボードに貼り付けた終了の挨拶】
米国ブッシュのイラク侵略戦争に反対し、2003年から毎週木曜日新長田駅前で行って来たピースメッセー長田(平和への呼びかけ)は2009年1月15日で終了します。
災害(地震)であろうと戦争(爆弾)であろうと同じ瓦礫(ガレキ)の下で人間が死んで行きます。私たちは「殺したくない、殺されたくない」との思いで、ブッシュが「悔い改め懺悔(ざんげ)するか、大統領を辞めるか」-その時まで毎週木曜日、駅前に立ち続けることにしました。
2009年1月20日オバマの大統領就任式でブッシュは大統領を辞めます。ブッシュが大統領を辞めても米国が引き起こしたイラクの混乱と悲劇は続きますが、ひとまず毎週木曜日の行動は終了することになりました。
みなさん、5年10ヶ月の間私たちの訴えに耳を傾けて頂きありがとうございます。これからも「平和」を一緒に願い行動して行きましょう!

イラク侵略戦争から6年、ブッシュは退きましたがブッシュ・アメリカがもたらした混乱は何も取捨されてません。終了の挨拶にあるようにひとまず毎週木曜日の行動は終了することになりましたが今度はイスラエルによるパレスチナへのテロ行為という蛮行が行われています。仕切りなおす必要があります。最終日の1月15日(木)最終日の打ち上げ交流会をします。午後6時30分より1時間、その後打ち上げをします。是非、時間のある方は一緒に最後のアピールをしましょう!そして打ち上げ交流会に参加して下さい。


2008年11月16日日曜日

朝・日友好尼崎朝鮮初中級学校愛校祭2008「チャル チャララフェスタ」



朝・日友好尼崎朝鮮初中級学校愛校祭2008「チャル チャララフェスタ」
11月9日(日)、8時50分~、
尼崎朝鮮初中級学校(JR「立花」駅から徒歩10分)。
入場無料。
公開授業、チャリティーバザー、文化公演、抽選会など。

朝鮮学校の愛校祭には「伊丹マダン」のあとに行きましたが午後3時ぐらいになってしまい。
着いて直ぐに終了してしまい残念ながら何も見れませんでしたが何人かの知り合いに挨拶出来たので幸いです。

第13回伊丹マダン

多文化共生、出会いのひろば
第13回伊丹マダン
開催日 :2008/11/9
時間 :11時から15時(雨天決行)
場所 :伊丹市立伊丹小学校
主催 :伊丹マダン実行委員会・伊丹市
後援 :伊丹市教育委員会
問合せ先 :伊丹市国際・平和課
電話 :072-784-8148



舞踊、楽器演奏、ダンスなどの楽しい舞台と、民族料理の屋台や、子どもフリーマーケット。
また今年は、遊びの広場が体育館内に移動、同時に「中村地区と私たち〜伊丹空港建設から集団移転まで〜」の写真展も開催されてました。遊びの広場の一部は運動場にもありました。体育館に入ってしまうとメインステージを楽しめないので元通り遊びの広場は運動場に戻したほうがいいのではないかと感じた。

「済州島四・三事件」の私


「済州島四・三事件」の私
講師:金時鐘さん(詩人)
神戸学生青年センター/朝鮮史セミナー













南北分断への反発と4・3事件の勃発

植民地からの解放後、北緯38度線の北側をソ連、南側を米軍が統治した。
北では抗日パルチザン出身の金日成が親ソ政権を、南では独立運動出身の李承晩が親米政権を立てる。
南北分断を避けようとする様々な運動が起きていた。
1947年3月1日、済州島で「3・1独立運動」の記念式典の後、参加者らがそのまま南北分断に反対する
デモを始めた。
このデモ隊に、陸地(韓国本土)から派遣されていた米軍政下の警察隊が発砲。十数人の死者が出た。
警察隊には「済州島はアカの島」という偏見があり、済州警察への不信感もあった。
このとき警察が、陸地での過剰な左翼運動取締りを済州島にも持ち込んだ。
この日が4・3事件の始まりとされている。
3・1虐殺に反発する済州島の官公庁・企業は一斉にゼネストに入り、米軍政はこれを徹底弾圧。
2000人の検挙者を出した。この頃から、北朝鮮から逃げてきた右翼たちで構成する「西北青年団」などの
極右・反共集団が済州島に入り始めた。彼らは法的拘束を持たず残虐非道なアカ狩りを始めた。

一方、アメリカの影響下にある国連は全朝鮮での選挙実施を決めるが北側はこれを拒否。
南朝鮮での単独選挙実施となり、南北分断は避けられない事態となった。
南朝鮮労働党など3・1事件で過激化した済州島の左派グループはこの選挙への反対活動を始める。


4・3蜂起と焦土化作戦

1948年4月3日、選挙無効などを叫ぶ武装隊が蜂起し、警察署などを襲う。
米軍政下の陸地から来た警察や西北青年団など右翼団体は、これを弾圧。抗争が始まった。
軍警は武装隊に関与する住民も虐殺していった。
村々は、昼は軍警、夜はパルチザンに支配される状況となり、抗争は住民を巻き込んで複雑化していった。
結局、5月10日の南側単独選挙は済州島だけで無効選挙となった。
李承晩は、済州島を焼き払えと命じたとされる。

同年8月15日に大韓民国が成立する。
しかし創設された韓国軍は米軍の指揮下にあった。
韓国軍は済州島の焦土化作戦を決行、敵性地区とされた中山間部の村々を焼き、年寄り、女性、子どもも見境いなく殺戮していった。
難を逃れて山に入った人も、武装隊と見なされて殺され、成年男子の多くも連行され殺された。

金時鐘先生の体験談に心が振るえ目頭が熱くなりました。貴重な話しありがとうございました。

2008年11月3日月曜日


12回 たからづか民族まつり
「よっといで 見においで-ともに生きようこの街で-」
11月2日(日)11:00~15:00
場所;宝塚市立良元小学校校庭 入場無料 
主催:たからづか民族まつり実行委員会


12回目で初めての参加です。
秋晴れの爽やかな最高の日和。
この日は西から東はりまマダン・明石朝鮮初級学校でのチャリティーフェスタ2008.・西神戸朝鮮初級学校での愛校祭・大阪四天王寺ワッソ・京都東九条マダンとわたしの知る限りでは六つのマダン(まつり)が一斉に開催され、どこに行くか迷った末の選択でこの“たからづか民族まつり”に決めたのは全国でもっとも今年注目された2008年3月に日本の自治体としては初めて“日本軍『慰安婦』問題に対して、政府の誠実な対応を求める意見書”を宝塚市議会が全会一致で採択意見書を提出したその地でのまつりをこの目で見たいと思ったからです。
校庭の一角を使ってのこじんまりした感じでしたが体育館も使いパネル展示するなど屋内外をうまく使ってました。
体育館では宝塚における朝鮮人の足跡が分かるパネル展示や今は無い宝塚朝鮮学校の足跡・・・。
日本軍『慰安婦』問題に関する展示がありましたがここには水曜行動で使われている横断幕もありました。この横断幕は屋外の目立つところに掲げたほうが良かったのではないかと少し残念に思いました。
また、伊丹朝鮮初級学校の生徒たちによる演技はとても小学生とは思えないようなすばらしいレベルで感動しました。

2008年10月28日火曜日

知りたい 在日韓国人の本国国政選挙権~私たちにも1票がある


知りたい 在日韓国人の本国国政選挙権~私たちにも1票がある

■日時…2008年10月25日(土)午後2~5時(開場午後1時半)
■会場…大阪弁護士会館2階ホール
■参加費(資料代)…千円





■Ⅰ部…経過報告
○在日韓国人側(在日韓国人本国参政権連絡会議事務長)
○韓国側(同連絡会議 韓国連絡事務局代表)
■Ⅱ部…講演
○方勝柱(漢陽大学副教授・憲法学)
■Ⅲ部…パネルディスカッション
○文 京 洙(立命館大学教授)
○方勝柱(漢陽大学副教授・憲法学)
○白ピョンギュ(韓国オーマイニュース編集委員)
○林 範 夫(弁護士・在日韓国人本国参政権連絡会議執行委員)
コーディネート
○金シニョン(在日韓国人本国参政権連絡会議副議長)

主催;在日韓国人本国参政権連絡会議

昨年6月韓国憲法裁判所は海外に住む韓国籍を有する同胞の選挙権を住民登録がないことを理由に与えないのは違憲であるとし、今年の12月末日までに韓国の公職選挙法を改正するよう立法府に求める画期的な判断を下しました。次の韓国国会議員選挙(2012年4月)、韓国大統領選挙(2012年12月)には在日韓国人にも選挙権を行使できる歴史的な日が訪れることになります。
ところが、在外同胞にも本国国政選挙権の道が開かれたことについて現在、在日同胞社会においてはその事実すらほとんど知られていないのが現状です。
私たちは、この選挙権をより多くの同胞が活用し、また正しい選挙文化が普及・定着され健全な選挙が行なわれなければならないと考え、今年4月「在日韓国人本国参政権連絡会議」を発足させました。
今回のシンポジウムでは、10数年にわたって在日同胞の本国参政権獲得の問題に取り組んできたこの間の運動の経緯を報告するとともに、各界有識者及び韓国国会議員(出席依頼交渉中)も交え、このことの歴史的意義、課題、差し迫った法改正の行方などを議論していきたいと考えております。



参加者は約30名(スタッフ込み)と少し寂しい。
通訳が未経験者なのだろうかそれとも準備不足なのだろうか韓国語のわからない人は殆ど理解できなかっただろうと思う。
でも資料がしっかりしてたので 内容は把握できたのが救いでした。金信鏞さん本当にご苦労様でした。
まだ、韓国での法案の内容が不確定なので具体的な事柄が確定できないため焦点が絞れず多くの人に周知徹底するための行動は韓国での法案通過を待たなくてはなりません。法案通過後はなるべく早く行動しなければならないと思うのですがさまざまなシュチュエーションに対応した基本対策案がまだのようでした。
本国から忘れ去られた在日がこれで韓国国民として認められるというよりも同じ民族として認められるのだと思いたい。というのは講演をして下さった方勝柱先生が参加者からの質問の中の“棄民”という言葉に対し、“決して国家は国民を見捨てたりしない”という趣旨の話しをされたからです。民主主義とは民衆が国家を形成するのであって国家が民衆の上に立ってはならないと信じているから“決して国家は国民を見捨てたりしない”という趣旨の話しは受け入れられません。ここで言ってほしい言葉は“わが民族は同じ民族であるあなたたちをを見捨てたりしない”です。何も言わなかった質問者は納得したのでしょうか?
本筋とは何の関係もない事柄のようですが少なくともわたしはもっとも大事な事だと思ってます。“棄民”は国家の上にいる民衆に対する不満であり、この意識が今回の本国国政選挙権への漠然とした期待感を生み、この場に参加した動機でありこの漠然とした期待感がどこまで自分の思いと重なるのかを知りたくて参加したのではないかと今は考えてます。そして、韓国国政選挙権は私たちが同じ民族であるという事の証しであり第一歩でもあります。確実に実現するであろう統一された祖国での国政選挙権をもわたしは夢見ています。