2009年3月30日月曜日


第18回ふれあい芦屋マダン 

3月29日 日曜日 晴れときどき曇り 気温12℃ぐらい 少し強めの風が時々吹いている

午前11時から芦屋市立宮川小学校で開催された。無風のときに日向にいるとぽかぽかと絶好の日向ぼっことなったが一旦曇ると風が出て肌寒く感じる。今年は韓国料理の屋台もなく、しかもプンムル(風物)隊もなくコリアン色はマダンという名前と横断幕のハングルぐらいで残念!在日外国人の中でも圧倒的な比率で存在したコリアンの存在がここまで無くなるとは・・・。世の中の移り変わりの中で独り取り残された様で少し寂しさを感じた。それと同時に日本の社会の中での在日外国人の多様化の現実を感じる事となった。こんにち、日本ではますます過去の歪んだ愛国教育や排他的な教育がなされようとしている時だからこそこういった取り組みはますます必要になって来ています。このマダンでめざす多文化とのふれあいの大切さを今後も多くの人たちに知ってもらい感じてもらわなければなりません。今後も変化を繰り返しながらもその時その時の時節にあったスタイルで続けていってほしいと思います。また、このたび、エコロジーにもスポットをあて、リユース食器を使うことは子どもたちがエコを実体験することによりその大切さを体験できたとても良い取り組みだったと思います。各地のマダンにもこういった取り組みを検討して実践してほしいと思います。最後に実行委員長の辻本先生はこの程定年退職されましたがここでお疲れ様でしたと辻本先生を送り出すのではなく、ぜひとも今後も実行委員長として多文化への理解とふれあいを伝えていってください。わたしにとっては少し寂しいマダンとなりましたが決してくじけずに頑張ってください。

2009年3月10日火曜日

大阪人権博物館セミナーの中止問題

日本の中でも一際大きな自治体としての人権意識と人権博物館の存在意義を問われる要請書と質問書がそれぞれに送付されました。来週にもその返事が来ると思われます。
海南島近現代史研究会事務局斉藤日出治様ぜひ、この結果をお知らせください。

そしてこのブログにお越しの皆様もともにこの問題の顛末を見届けましょう。

*** 以下、海南島近現代史研究会事務局斉藤日出治様からのメールを添付します。***

2月~3月に予定されていた大阪人権博物館セミナーの中止問題について、2月28日付で、海南島近現代史研究会から、大阪人権博物館、大阪市市民局大阪人権室に、要請書と質問書を送りました。(以下、一部省略)

海南島近現代史研究会 事務局 斉藤日出治
 


 要請書

 2009年2月28日

 大阪人権博物館館長 秋定嘉和さま

海南島近現代史研究会
 連絡先大阪産業大学斉藤日出治研究室内
 大阪府大東市中垣内3


 海南島近現代史研究会は、2007年8月に結成されました。

2009年2月14日から4回にわたって予定されていた大阪人権博物館の2008年度リバティセミナー(2)
被差別民衆とアジア・太平洋戦争」の2回目に、講演依頼を受けた海南島近現代史研究会会員のキム チョンミが、「日本占領下 の海南島で(1939年~1945年)」という題で講演することになっていました。 
「被差別民衆とアジア・太平洋戦争」の案内チラシに、キム チョンミは講演要旨を書き、校正を2008年11月末におえていました。チラシの印刷は12月に終わっていたようです。ところが、2009年1月20日になって、このセミナーの担当者である朝治武さんから、セミナーを中止することになったと聞きました。
その理由は、大阪市市民局人権室から、2009年1月5日付の文書で、このセミナーの「目的、内容等が適正とは認められないので」、「不受理」と通知されたからとのことでした。

このことにかかわって、つぎのことを要請します。

1、大阪市市民局人権室にたいし、「適正とは認められない」という「目的、内容等」を具体的に文書で示してもらってください。 そして、その文書回答を、海南島近現代史研究会に提示してください。

2、大阪市市民局人権室にたいし、「適正とは認められない」理由を文書で詳細に具体的に示してもらってください。そして、その文書回答を、海南島近現代史研究会に提示してください。

3、大阪人権博物館が、案内チラシを印刷したにもかかわらず、独自にリバティセミナーを開けない理由を説明してください。

4、リバティセミナー「被差別民衆とアジア・太平洋戦争」を中止した事実と経過を、大阪人権博物館のホームページなどで、公表してください。

2009年3月15日(土)までに、文書およびメールで回答してください。



質問書

2009年2月28日

大阪市市民局人権室室長さま

海南島近現代史研究会
連絡先 大阪産業大学 斉藤日出治研究室内
大阪府大東市中垣内3

 
海南島近現代史研究会は、2007年8月に結成されました。
2009年2月14日から4回にわたって予定されていた大阪人権博物館セミナー「被差別民衆とアジア・太平洋戦争」の2回目に、講演依頼を受けた海南島近現代史研究会会員のキムチョンミが、「日本占領下の海南島で(1939年~1945年)」という題で講演することになっていました。ところが、2009年1月20日になって、このセミナーの大阪人権博物館担当者から、セミナーを中止することになったと聞きました。
 その理由は、大阪市市民局人権室から、2009年1月5日付の文書で、このセミナーの「目的、内容等が適正とは認められないので」、「不受理」と通知されたからとのことでした。

このことにかかわって、つぎのことを質問します。

1、「適正とは認められない」という「補助事業の目的、内容等」を具体的に示してください。

2、「適正とは認められない」理由を具体的に詳細に説明してください。

 2009年3月15日(土)までに、文書で回答してください。

2009年2月9日月曜日


海南島近現代史研究会 第2回定例研究会  http://www.hainanshi.org/


主題:海南島侵略開始・アジア太平洋戦争準備開始70年

1939年2月10日に日本軍が海南島に侵入しました。その7か月後、1939年9月に、ポーランドに、 ドイツ軍が西方から、ソ連軍が東方から侵入して分割占領し、第2次世界戦争が開始されました。 日本政府が2月10日に日本軍を海南島に奇襲上陸させたのは、「紀元節」である2月11日に海南島の首都、 海口を占領することを計画していたからでした。 1939年2月11日、日本のマスメディアは、 海南島奇襲上陸(宣戦布告なしの海南島戦争開始)の「成功」と「紀元節」を大きく報道しました。 


と き:2009年2月8日(日)13時~17時(開場12時半)
ところ:
 大阪産業大学 梅田サテライト・レクチャーA室(大阪駅前第三ビル19階) 

プログラム

【研究報告Ⅰ】 天皇制国家日本のアジア侵略への国家総動員 紀元節・神武天皇陵・八紘一宇

久保井規夫
 日本が海南島侵略を開始していたころ、日本国内では「神武天皇御陵」や「橿原神宮」が国策として拡張され、「八紘一宇」というアジア侵略への国威高揚のスローガンが掲げられ、国家総動員の仕上げがおこなわれていました。
 

【研究報告Ⅱ】 1939年2月10日の世界史的意味

佐藤正人
 国民国家日本が1869年にアイヌモシリの一部(「北海道島」)を植民地としてから70年後、1939年2月に、天皇ヒロヒトと日本政府は、海南島に日本軍を奇襲上陸させました。それからさらに70年が過ぎました。海南島近現代史のなかの日本近現代史と世界近現代史を認識する意味を、みなさんと共に考えたいと思います。
 

【研究報告Ⅲ】 1939年2月、マスメディアは海南島侵略をいかに報道したか

竹本昇
 1939年2月10日に、大阪毎日新聞社は、「今暁・海南島へ奇襲上陸 直ちに猛進撃を開始 宛ら無人の野を征く」という号外を出しました。その「無人の野」における日本軍の犯罪を報道したマスメディアはありませんでした。
 

【研究報告Ⅳ】 2009年、マスメディアは海南島をどのように報道しているか

日置真理子
 70年前、日本人がどのような目的で海南島に上陸したか。そして何をしたのか。まったく振り返ることがないまま、海南島をリゾート目的で利用する日本の報道を取り上げてみます。
 

【研究報告Ⅴ】(予定)  海南島捕虜収容所のオーストラリア軍ガル・フォース  飢えと疫病と重労働  生き証人に聞く

西里扶甬子

参加して

 海南島?どこにあるの?と何も分からないところから始まり、その後多くの情報をさまざまな形で知ることになり、興味を持ち続けて早くも2年近くが過ぎ、ようやくたどり着いた感があります。

 在日朝鮮・韓国人の抱える過去から未来のさまざまな問題に関心を持って来ましたが中国のしかも南方の小さな島での悲惨な事実は旧帝国日本軍が犯した蛮行の殆どがそこにある事を証明してます。
 この事実を広く日本社会や朝鮮・韓国そして中国の人たちに知ってもらわなければなりません。そのために調査・研究しその結果を踏まえてさまざまな行動を起こして来られた事に敬意を表します。

 行動のひとつとして海南島における「朝鮮村」での大量虐殺の事実を韓国の真相究明委員会(2004年3月22日公布)に知らせこの事に対する調査の依頼をしました。
 しかし、この事実を再三訴えたにもかかわらず実質的に何の行動もなされなかったのはとても残念で腹立たしい。
 韓国の真相究明委員会が中国のしかも南方の小さな島であることから軽視しているのであればとんでもない間違いであり、小さな島だからこそ狭い範囲で多くの証拠を得ることが出来る願ってもない場所であると言えると思う。しかも、海南島近現代史研究会が独自に調査した資料もあり、これを無視しているのは韓国の国民に対する背信行為でもある。

 更に許されない事件がある。これらの調査・研究結果の企画・展示の予定(2004年)が目に見えない大きな力(権力)の横槍で中止となった事だ。
 しかもその開催場所は大阪人権博物館(リバティおおさか)である。その後、大阪市市民人権室が「海南島」という言葉に難色を示しているということから大阪人権博物館の理事会で不支持となり延期となった。その公式理由は「調査が不十分」ということだった。
 元々この企画は博物館からの依頼で準備したもので博物館側が何らかの圧力によりそれに屈服し、人権を守るべき側から人権を蹂躙する側についた事をしっかりと私たちは認識しなければならない。

 この問題はここで終わらなかった。今年の2月に大阪人権博物館セミナーとして予定されていた「被差別民衆とアジア・太平洋戦争」が大阪市市民人権室からの「補助事業の目的、内容等が適正とは認められないので・・・」という理由で不受理とされ、博物館側は今後の助成を懸念して事実上、中止となった。
 「内容が適切でない」とはどういう事なのか?元々この企画は博物館側の企画であるという事は博物館が自分たちの目的さえも把握出来ない程度の組織なのかと疑いたくなる。このままでは存在意義をなくし、消滅してしまうのではないかという危惧を抱かざるおえない。
 そのようなことにしては決してならないという思いは人権問題にかかわる人たちや関心のある多くの人たちの共通の思いであると思います。
 人権を踏みにじる側に媚びるのではなく人権を守る側として博物館もともに闘ってくれれば存続価値も高まるし、それでこそ人権を扱う博物館としての真の姿ではないのか?早急に悔い改めて欲しい。

2009年1月22日木曜日

日本軍『慰安婦』問題の解決を求める 水曜デモ

水曜デモin長田 
―日本軍『慰安婦』問題の解決を求める 水曜デモ―

2009年1月21日(第三水曜日)記念すべき第一歩を踏み出しました。
初日とあってさまざまな支援者たちや友人、団体の方たちが雨にもかかわらず13名の方たちがデモに参加してくれました。
用意したチラシ300枚を撒き切ったのと終了とがほぼ一緒で幸先のいい初日でした。
雨の中、帰宅される方たちや出かける方たち、たくさんの方たちがチラシを受け取ってくれました。チラシを受け取ってくださった方には思わず“ありがとうございます”と言ってました。
そして参加して下さった皆さん!雨の中ありがとうございました。風邪を引かれませんようお気をつけください。
そして、来月の第三水曜日午後6時30分より1時間一緒に頑張りましょう。

日本軍「慰安婦」問題の解決を求める水曜デモとは?
日中戦争(十五年戦争)・アジア太平洋戦争中、日本軍は兵士たちの性的欲求を満たすため「慰安所」をつくり、
植民地や占領地にいる数多くの女性たちを強制的に性奴隷としました。
「慰安婦」とされた女性たちは、繰り返し性暴力と虐待を受けました。
日本の敗戦により解放されたはずの被害女性たちは、日本軍兵士に無理やり性行為を強要され、
辱められたことを誰にも言えずに長い間生きるしかありませんでした。
しかし日本軍の関与はなかったという日本政府の対応に、90年代になって一人、二人と名乗りを上げ事実を話し始めました。
それにより日本社会においてもやっと日本軍「慰安婦」の存在が知られるようになりました。
被害女性たちは日本政府に、真相究明、公式謝罪、国家賠償、責任者処罰などを求めて声を上げ始め、
韓国では日本大使館前で1992年1月8日から毎週水曜日にデモが続けられてきています。
私たちも、すべての日本軍「慰安婦」問題の被害女性と連帯すべく第3水曜日に水曜デモを行います。
街頭でアピールビラ配りやプラカードやパネルを展示、署名集めなどの行動を行います。是非ご参加ください。

● 毎月第3水曜日 午後630分から730

● JR新長田駅・地下鉄新長田駅南側出口すぐ

2009年1月10日土曜日

새해 복많이 받으세요(あけましとめでとうございます)

새해  복많이  받으세요(あけましとめでとうございます)

在日活動カレンダーでは活動初めが7日の水曜行動です。
日本軍『慰安婦』問題 に関する大阪での水曜行動が今年の最初でした。
今年から神戸の新長田でも水曜行動が始まります。
第一水曜日が大阪
第二水曜日が西宮北口
第三水曜日が新長田です。
いづれも、午後7時から一時間しています。
新長田の初日は1月21日です。皆さんの参加をお待ちしています。

カレンダーにはありませんが毎年、路上生活者の支援のために年末から年始にかけて行政が無慈悲にも見捨てている路上生活者を1人でも多く救済しようという取り組みが各地で地道に行われています。
昨年末から社会現象となっている派遣切り等による失業者の救済のための取り組みとは違い地に足のついた取り組みです。

イスラエルによるガザ地区へのテロに抗議する行動が活発化しています。
1月8日(木)三ノ宮においてイスラエルによるガザ地区へのテロに抗議する行動が行われました。
趣旨は以下のとおりです。

(趣旨)
今ガザで起きていることは戦争ではありません。イスラエルという無法国家が
一方的に、ライフラインを脅かされた150万の市民を封じ込めて殺しています。
イスラエルやアメリカはハマスのロケット攻撃のせいにしますが、ウソです。
イスラエルは半年前からこの攻撃を準備してきました。4年前からガザの人々
を封じ込めて命を脅かし続けています。そもそも、暴力でテロはなくなりません。
イスラエルはガザ市民を殺すな!
アメリカはイスラエルを擁護するな!
日本政府は、イスラエル当局を国際刑事裁判所に告発し、アメリカにも抗議を!
私たちは、パレスチナYWCAがよびかけた1月8日の国際連帯行動に応じ、行動します。

同じ日(1月8日木曜日)、ピースメッセージ長田がラスト2回を迎えました。
【メッセージボードに貼り付けた終了の挨拶】
米国ブッシュのイラク侵略戦争に反対し、2003年から毎週木曜日新長田駅前で行って来たピースメッセー長田(平和への呼びかけ)は2009年1月15日で終了します。
災害(地震)であろうと戦争(爆弾)であろうと同じ瓦礫(ガレキ)の下で人間が死んで行きます。私たちは「殺したくない、殺されたくない」との思いで、ブッシュが「悔い改め懺悔(ざんげ)するか、大統領を辞めるか」-その時まで毎週木曜日、駅前に立ち続けることにしました。
2009年1月20日オバマの大統領就任式でブッシュは大統領を辞めます。ブッシュが大統領を辞めても米国が引き起こしたイラクの混乱と悲劇は続きますが、ひとまず毎週木曜日の行動は終了することになりました。
みなさん、5年10ヶ月の間私たちの訴えに耳を傾けて頂きありがとうございます。これからも「平和」を一緒に願い行動して行きましょう!

イラク侵略戦争から6年、ブッシュは退きましたがブッシュ・アメリカがもたらした混乱は何も取捨されてません。終了の挨拶にあるようにひとまず毎週木曜日の行動は終了することになりましたが今度はイスラエルによるパレスチナへのテロ行為という蛮行が行われています。仕切りなおす必要があります。最終日の1月15日(木)最終日の打ち上げ交流会をします。午後6時30分より1時間、その後打ち上げをします。是非、時間のある方は一緒に最後のアピールをしましょう!そして打ち上げ交流会に参加して下さい。


2008年11月16日日曜日

朝・日友好尼崎朝鮮初中級学校愛校祭2008「チャル チャララフェスタ」



朝・日友好尼崎朝鮮初中級学校愛校祭2008「チャル チャララフェスタ」
11月9日(日)、8時50分~、
尼崎朝鮮初中級学校(JR「立花」駅から徒歩10分)。
入場無料。
公開授業、チャリティーバザー、文化公演、抽選会など。

朝鮮学校の愛校祭には「伊丹マダン」のあとに行きましたが午後3時ぐらいになってしまい。
着いて直ぐに終了してしまい残念ながら何も見れませんでしたが何人かの知り合いに挨拶出来たので幸いです。

第13回伊丹マダン

多文化共生、出会いのひろば
第13回伊丹マダン
開催日 :2008/11/9
時間 :11時から15時(雨天決行)
場所 :伊丹市立伊丹小学校
主催 :伊丹マダン実行委員会・伊丹市
後援 :伊丹市教育委員会
問合せ先 :伊丹市国際・平和課
電話 :072-784-8148



舞踊、楽器演奏、ダンスなどの楽しい舞台と、民族料理の屋台や、子どもフリーマーケット。
また今年は、遊びの広場が体育館内に移動、同時に「中村地区と私たち〜伊丹空港建設から集団移転まで〜」の写真展も開催されてました。遊びの広場の一部は運動場にもありました。体育館に入ってしまうとメインステージを楽しめないので元通り遊びの広場は運動場に戻したほうがいいのではないかと感じた。