2009年7月25日土曜日

水曜デモinソウル


水曜デモinソウル

2009年7月22日(水) 第875回水曜集会 「劇団水曜日」主幹 演劇<セナの願い>公演 30分
在日同胞の女学生セナが、在日朝鮮人差別と「慰安婦」問題に怒りを感じて、解決していく過程を描いた演劇。

事前の雨の予報は見事に外れ、天気は晴れ。
蒸し暑い中、挺身隊問題対策協議会が主催する875回水曜集会は正午キッカリに始まった。
事務局長の挨拶から始まり、いよいよ「劇団水曜日」が紹介され、主人公のセナが子どもたちにいじめられるシーンから始まった。
日本では今でも朝鮮人(在日コリアン)に対する差別意識は根強くその差別意識は残念なことに子どもたちの意識の中にも居座り続けている。そんな現実とハルモニたちの受けた屈辱の体験は半世紀以上経つ現在と繋がっている。

100年前の呪縛を解くことは出来るのか?
2009年5月23日、韓国の盧武鉉(ノ・ムヒョン)노무현前大統領が惜しくも急逝されたことはとても残念で心が痛む。
この場を借りて哀悼の意を表明します。
その盧武鉉前大統領の進めてきた政策は過去の植民地時代から軍事政権期にいたる全ての事案に適用して真相究明や責任の追及、補償を行うための過去史基本法(真実・和解のための過去史整理基本法)を成立させた事でもわかるように、この取り組みこそ“100年前の呪縛を解くこと”のためには避けては通れないことであったと思っている。“臭いものには蓋をする”的対応では何も解決しないことは誰でもわかる事と思っていたが、実はわからないのではなく、うやむやにして無かった事にしようという事であった。この傾向は日本だけでなく当の韓国人にもあり、今はそういった勢力が強くなっている。盧武鉉前大統領にはまだまだ生きていてもらって“真実・和解のための過去史整理基本法”履行のために先頭に立って闘ってほしかった。重ね重ね残念でならない。

さて、演劇に戻るとしよう。
劇は導入部の重苦しい雰囲気とは一変し、コミカルなミュージカル仕立てに・・・。
観劇していたハルモニを始め、多くの観客は突然の変貌に面食らい、目を白黒させながらも、湧き出る笑いがどよめいていた。
コミカルな動きとは裏腹に歌詞は ♪ どうして どう~して! 誰のものでもない地球・・・中略・・・愛と正義が平和をつくる みんなのものだよ この地球 ♪ と、しっかりとメッセージが込められていた。
続いて、右傾化する日本の今の現状がますます差別を助長させていることをそして戦争が「慰安婦」問題を今後も引き起こす原因であるある事を受けて、コミカルな踊りに乗せ、その裏で糸引くアメリカの存在を痛烈に批判していた。

ハルモニの体験を歌にし、「慰安婦」問題を訴えた。今までの興奮は一変、また重苦しい雰囲気が漂う。胸つまらせ、息苦しいほどの生々しい証言。
そしてハルモニは「二度とこんなことを繰り返させないために、みなさんに真実を知ってもらいたいと、わたしは今日ここに来ました。わたしが今日まで生きて来たのは、みなさんにこのことをお話しするためだったんだと思います。どうか、日本に住んでいる皆さんが、日本政府を動かしてください。」と日本の支援者に期待した。

日本で活動の成果が見えはじめた・・・。
そのキッカケが[宝塚市議会での日本軍「慰安婦」問題の解決を求める意見書可決]でした。
その後、各地での[意見書可決]の朗報が次々ともたらされたことを紹介。取り組み中の活動も紹介と続き、みんなでシュプレヒコールをした。

最後に♪アリランのメロディにあわせて全員で踊り、最後は全員手をつないで一列になり、お辞儀をして演劇は終演した。途中、ハルモニが感激して踊りに参加。大いに盛り上がった。


最後に報道された内容を下記に添付します。
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[京郷新聞 2009-07-22 18:27]

「慰安婦の真実の伝播、放棄しない」

日本の劇団、挺対協の水曜集会で韓国語の演劇

写真
http://news.naver.com/main/read.nhn?mode=LSD&mid=sec&sid1=102&oid=032&aid=0002021151

写真 ▲ 日本の有名な「劇団水曜日」が、22日ソウル鍾路区の駐韓日本大使館前で開かれた従軍慰安婦[被害]ハルモニ水曜集会で公演している。(金キナム記者)


22 日昼12時、ソウルの鍾路区中学洞の駐韓日本大使館の前。ポリスラインの前に、空色の布で簡易演劇舞台が設けられた。劇が始まると、俳優5名が一人の女性 に向かって、「帰れ、朝鮮に帰れ」と叫んだ。黒い色のスカートと白いチョゴリを身につけた女性は、しくしく泣きながら、「アリラン」を歌った。

日本の「劇団水曜日」が、この日挺身隊問題対策協議会が主催した875回水曜集会の現場で、演劇<セナの願い>を公演した。在日同胞の女学生セナが、在日朝鮮人差別と「慰安婦」問題に怒りを感じて、解決していく過程を描いた演劇だ。

俳 優たちの韓国語は未熟だったが、演技は真剣だった。路上演劇は、30分余り行われ、俳優15名の額には汗の雫が溜まった。俳優たちは、演劇の最後に皆舞台 に出てきて、「金学順(キム・ハクスン)、裴奉奇(ペ・ポンギ)、姜徳景(カン・ドッキョン)…李順德(イ・スンドク)」と叫んだ。従軍「慰安婦」被害] ハルモニ31人の名前だ。

観客は、「慰安婦」[被害]ハルモニたちだった。車椅子に座ったハルモニたちは、真剣に演劇を観覧した。舞台からアリランが流れてくると、静かに歌いもした。

「 劇団 水曜日」は、2004年日本の兵庫県宝塚市で韓国伝統舞踊を公演した朝鮮高等学校の女学生たちに、一人の日本の女性が「朝鮮に帰れ」という差別的暴言をした事件を契機に創立された。

劇団の名前も水曜集会から取った。徳田幸博団長(66)は、「二月間猛練習して、今日の舞台に立った」、「韓国語を全く知らない俳優が半分ぐらいになるのに、皆熱心にセリフを覚えた」と語った。

劇団側は、公演後に発表した声明書を通して、「日本の地で、一人りでも多くの人たちに真実を伝えるよう、あきらめないで闘う」と明らかにした。彼らは、日本市民が集めた寄付約31万円(400万ウォン余り)を挺対協に伝達した。 
(カン・ビョン ハン記者)

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[聯合ニュース 2009-07-22 14:24]

第875回水曜デモ

(ソウル=聯合ニュース) 朴ジホ記者= 22日の午後、ソウルの中学洞の日本大使館前で開かれた「日本軍『慰安婦』問題解決のための第875回水曜デモ」で、ハルモニたちが日本からきた劇団水曜日の公演を見守っている。

写真
http://news.naver.com/main/read.nhn?mode=LSD&mid=sec&sid1=102&oid=001&aid=0002776351

http://news.naver.com/main/read.nhn?mode=LSD&mid=sec&sid1=102&oid=001&aid=0002776354

http://news.naver.com/main/read.nhn?mode=LSD&mid=sec&sid1=102&oid=001&aid=0002776360
(日本からきた「劇団 水曜日」の団員たちが、日本の謝罪を要求するスローガンを叫んでいる。)

http://news.naver.com/main/read.nhn?mode=LSD&mid=sec&sid1=102&oid=001&aid=0002776361

2009年6月22日月曜日

神戸在日コリアン保護者の会 第19回オープンセミナー

神戸在日コリアン保護者の会 第19回オープンセミナー

それぞれの保護者会活動をふりかえって~奈良・大阪・神戸からの報告

1990年代に入り、関西を中心に各地で在日コリアンの親たちによる<保護者会>が相次いで結成されました。
神戸でも当時の神楽小学校の教室を借り、わずかな親とその子たちだけの小さな集まりでしたが、子どもの成長、将来、学校への不安、悩みなどを「在日」としての自身を振り返りながら、親として何ができるのか、誰に話しをし、どうすればよりよい教育環境を作ってやることができるのかなど、それぞれが思いいっぱいで語り合ったことが今でも鮮やかに思い出されます。あれから20年近くが経ちました。すべきこと、したいことの多さと困難に非力を実感したことは数え切れないほどありますが、この間、各地の保護者たちの取り組みは、互いを励まし地域を越えた交流につながり、また多くの先生方との出会いのなかで、現場での教育実践や教育施策へと実を結んでいくなど、たくさんの成果を生み出してきました。そしていま。私たちは、世代交代のなかでの在日コリアンのいっそうの<多様化>と、在日外国人の急増に伴う日本社会の多民族多文化化の急速な進展などを背景に、新たに様々な課題に直面しています。

今回のセミナーは、それぞれの地域で保護者たちが取り組んできたことを改めて振り返りながら、現状と課題を率直に語り合い、また各地から来た子どもたちにとっても相互の交流・仲間作りの場になればと願っています。

(1部)各地からの報告…奈良・在日外国人保護者の会
              同胞保護者連絡会(大阪)
              神戸在日コリアン保護者の会
 (2部)フリートーク…… 在日外国人保護者から
              学校現場から
               民族教育の現場から
(子ども交流会~作って食べようコリアン料理)
…セミナーと同時進行で子ども交流会をします。料理実習&交流ゲームなどです。
持ってくるもの…エプロンなど
参加費無料です。

○日時:2009年6月21日(日)午後1時半~(開場・受付午後1時~)
○会場:神戸市立長田南小学校
(JR又は地下鉄の新長田駅を東へ約900m、あるいは高速長田駅を南西へ約900m)
○資料代:300円
□主催:神戸在日コリアン保護者の会
□共催:コリア教育文化センター
□お問い合わせ先:コリア教育文化センター:
korea_uriecc@ybb.ne.jp
   神戸市長田区北町1-45 小西ビル202 TEL/FAX 078-521-3855又は 090-3671-1370


20年近い年月は産まれたばかりの子が成人する年月です。
この間、何が変わり、何が変わらなかったのかそして今後についてそれぞれの団体の活動を振り返りながらの発表となりました。
特別永住権を持つ在日コリアンのこどもたちの親たちが『子どもの成長、将来、学校への不安、悩みなどを「在日」としての自身を振り返りながら、親として何ができるのか、誰に話しをし、どうすればよりよい教育環境を作ってやることができるのか・・・』などの思いから始まった各地の保護者の会の現状は奈良の橿原オリニ会の紙芝居の中にも出てきました。それは単なる在日(特別永住権を持つ在日コリアン)のこどもたちだけでなく父親または母親どちらか片方がが日本人または韓国人(朝鮮人)のダブル(以前はハーフと表現されてた)。在日の中にもオールドカマー(特別永住権を持つ在日コリアン)とニューカマー(最近、日本に来た人)の違いがあったり、ウリハッキョ(朝鮮学校)出身者や日本の学校だけで教育を受けた人と多種多様で、しかも、コリアンだけでなくヴェトナムの人たちもクローズアップされて来てます。

親の持つルーツのアイデンティティーもさまざまで親自身が“ダブル”であったり“ミックス”であったりと多様化していてその子たちが複数あるルーツのアイデンティティーをどう捕らえて、どう今後生きて行くのか?そしてどのような意味があるのかは親も子も予測のつくものではないと思う。では、親として何をこどもたちに与え、育むのか?ここに集う保護者のみなさんはそれに対する判断をされたみなさんであり、少なくとも20年近く活動し、成果を残して来られました。
わたしはその事に敬意を表したいと思います。
それでは何がどう変わって来たのでしょうか?
神戸の場合、最初は韓国・朝鮮籍のこどもたちだけを対象にしてたのが、日本籍であってもコリアンのルーツをもつこどもたちにまで広がり、今では関係なく受け入れています。この変化は学校側の意向や当事者であるこどもたちの意向が積み重なり、現状を作り出して来たのでしょう。これはこの取り組みが根付いて来ている良い兆候ではないかと思います。しかし、このこどもたちが小学校を卒業するとそこには保護者の会が存在しない現実があります。それでも、小学校を卒業したこどもたちは定期的に集まり続けています。この子たちのこの行為は大きな第一歩です。子どもたちが望めば学校側も無視できないのではないかという思いや親子がともに情熱をもってあたれば実現可能ではないかとの期待が生まれます。中学校の保護者の会は大阪の大池中学校で実現し、親たちの情熱がとても充実している事は大いに励みとなるのではないかと思います。

この子どもたちが高校生になったらそこに受け皿はあるのだろうか?
この事は中学校以上に難問で地域から遠く離れる場合も有り、1970年代から多くの高校で設立された「朝鮮文化研究会」やその後の「韓国文化研究会」などが今、どれだけ存在するのかといえばほとんどその活動を聞くことがない今、そういった学校に入学する事はよっぽどの意思がない限り、難しい。
という事は、彼らがどこの高校に進学しようと入学した学校でサークルを立ち上げ横の連体を保ち続ける事が出来たならば一応の完成形を見る事が出来るのではないかと期待している。

そういった学生たちを今の保護者の会の人たちが支援し続けることは改めて言うまでもない事だと思う。
そして彼らが親となり、保護者会を支え、運営してくれる日が来るのを楽しみにしてます。

2009年6月3日水曜日

「丹波マンガン記念館」閉館パーティー




「丹波マンガン記念館」閉館パーティー    於:丹波マンガン記念館     10:30~16:30 


http://www6.ocn.ne.jp/~tanbamn/

<アクセス>
JRバス「高雄・京北線」京都駅発「周山行き」で『周山』バス停下車。
その後「京北ふるさとバス」で「下中」バス停下車、徒歩。
丹波マンガン記念館の所在地 〒601-0533 京都市右京区京北下中町西大谷45

NPO丹波マンガン記念館は、1989年5月に開館し2009年5月31日を以て閉館します。
5月31日以降は見学(団体客含)は見学をお断りしています。
5月31日丹波マンガン記念館にてAM10時30分より開催します。

丹波マンガン記念館は、初代館長である李貞鎬さんによって、1989年5月に開館されました。

李貞鎬さんはじん肺のため1995年3月に没しましたが、彼の思いは、家族の献身的な努力と負担で20年にわたって受け継がれ、維持されてきましたが、個人の力ではもはや継続は困難となり、李貞鎬さんのご子息である李龍植館長は、やむをえず「閉館」という苦渋の選択をされました。



追悼式      マンガン記念館「閉館式」(鎮魂の集い)

鎮魂の舞台   コリア舞踊 金仁姫(キムイニ)さん、趙恵美(チョヘミ)さん

鎮魂の舞台   「鎮魂と新たな門出」の歌 新井英一さん

鎮魂の舞台   京都朝鮮初級学校生徒のみなさんの歌

          李龍植館長のお話しの後、閉会です。

韓国での報道です。

NAVERニュースより -森川静子さんの翻訳文を流用させていただきました。-

 http://news.naver.com/main/read.nhn?mode=LSD&mid=sec&sid1=104&oid=001&aid=0002689723


日本唯一の強制徴用記念館結局門を閉ざす

 

在日僑胞運営“丹波マンガン記念館”累積赤字のため閉館

(大阪=聯合ニュース)キム・ビョンギュ特派員=

日本唯一の強制徴用の記念館である「丹波マンガン記念館」が、日本の現地の存続の努力にもかかわらず、結局閉館された。丹波マンガン記念館(館長 李龍植(イ・ヨンシク)) は31日、京都府北部に位置する記念館内の資料室で閉館式を行い、記念館の運営を打ち切った。

丹波マンガン記念館は、強制徴用で連れて来られた李館長の父 李貞鎬(イ・ジョンホ、(1995年逝去)氏が、1989年に、日帝の強制徴用の歴史を記録するために、自身が働いていた鉱山に造った記念館で、日本に一つしかない強制徴用関連の記念施設だった。

 記念館は、強制徴用労働者たちの姿を坑道の中に再現した展示場と、労働者たちの証言資料などを紹介した資料館などを備え、強制労働のつらい歴史を知らせる役割を果たしてきた。
この間、李氏父子が私費を投じて運営してきたが、毎年600万円(約7,800万ウォン)づつの赤字のため、資金難に陥ってきた。

このような事実がマスコミを通して外部に知られる事により、現地では民間で存続のための募金活動が展開された。
京都所在の大学教授たちを中心にした日本の市民たちは、閉館の危機のニュースを聞いて、今年3月に「丹波マンガン記念館を再建する会」(以下 再建会)をつくって募金活動を繰り広げてきた。

また、駐大阪韓国総領事館も、記念館の鉱石を買う方法で、間接支援に乗り出した。

しかし、不景気の影響で、募金額が期待した額に及ばず、記念館側は、結局閉館を決定することになった。
李館長は、「どうにかして記念館を生かそうとしたが、結局、私の力で続けて記念館を運営するのは力不足だと判断をした」、「炭鉱で働かされて亡くなった年配の方たちの事を考えると、胸が痛みますが、やむを得ず閉館を決定した」と語った。
彼は、「記念館で保管していた資料は、民団が運営する博物館に寄贈する計画だ」、「記念館は門を閉めるが、著述活動などを通して、当時の苦痛の歴史を人々に知らせる努力を続けるつもりだ」と語った。
この日の閉館式には、マンガン鉱山に青春をささげた在日同胞1世代の人たちに対する追悼式と、鎮魂のための舞踊公演、コンサートなどもともに行われた。
再建会の事務局長の龍谷大学の細川孝教授は、「日本で多くの方々が記念館存続のために募金に参加したが、期待ほどの結果が得られなかった」、「記念館が閉館にはなったが、今後志を同じくする日本国内の学者たちとともに、日本の加害の歴史に対する調査を続ける計画だ」と語った。






わたしは、閉会を見届けることなく京都府立ゼミナールハウスでのシンポジュウムに参加しました。



<午後の部> 13:30~16:30 於:京都府立ゼミナールハウス
丹波マンガン記念館を再建する会・第2回総会
記念シンポジュウム「丹波マンガン記念館の意義と可能性」
参加費:未定(決まり次第お知らせします)
主 催:丹波マンガン記念館、丹波マンガン記念館を再建する会
問い合わせ:丹波マンガン記念館を再建する会事務局
電話075(645)8634、e-mail:
hosokawa@biz.ryukoku.ac.jp

 

☆府立ゼミナールハウスの所在地 〒601-0533 京都府京都市右京区京北下中町鳥谷2
<アクセス>「周山」バス停から「京北ふるさとバス」で「ゼミナールハウス」または「京北病院前」バス停下車、徒歩。


府立ゼミナールハウスでの「丹波マンガン記念館を再建する会・第2回総会」では解散をするのではなく後、一年はこのまま行くという報告がありました。この継続に何の意味があるのか理解できませんでしたが部外者のわたしが口を挟む事ではないと思い最後まで静かに聞いていましたが司会者の“シャンシャン総会はいやだ”という言葉とは裏腹に見事なシャンシャン総会でした。追悼式では“丹波マンガンを研究・歴史を残す会”に名称を改めるとありましたがその事には一度も触れられませんでした。しかもこの総会にそしてこの後のシンポジュウムにも館長の李龍植さんの参加がありませんでした。この会は誰のために何のために活動して来たのでしょうか?そして今後一年も誰のために何のために活動して行くというのでしょうか?

シンポジュウムでは生徒たちに強制徴用などの事実を自ら副教材を駆使しながら精力的に伝えてる地元の高校教師の話しに興味が湧きました。ご本人ともお話ししましたが「是非、先生の後を継ぐ先生を指導・育成して行ってください。」とエールを送りました。このシンポジュウムで何かをまとめる事をしなかったので内容に関する報告はありません。

2009年5月30日土曜日

2009年5月9日(土曜日) 10:00より 
講師:塚崎昌之先生
主催:高槻「タチソ」戦跡保存の会

高槻「タチソ」ガイド養成講座




まずは「タチソ」ってなに?にお答えします。
高槻の「タ」
地下の「チ」
倉庫の「ソ」
という文字の頭文字をとった略称(暗号)で、アジア太平洋戦争末期に日本各地に計画された地下倉庫・工場のひとつです。

この倉庫が造られる事になったのは1944年夏のサイパン陥落により、「本土決戦」が現実のものとなり「軍」の司令部や工場・物資の地下移設の適地として選ばれたからです。後に川崎航空機工場(兵庫県明石市)が空襲により破壊され、戦闘機「飛燕」のエンジンを製造する工場へと目的が変更されました。
サイパン陥落が「本土決戦」に直結するのはどうしてかは1945年から空襲が本格化して行った事からもわかる。また、この高槻の地は日本屈指の物資輸送の吹田操車場に近いとう地の利があります。 ちなみに、現在の道を行けば吹田操車場まで約20kmです。国道171号線から茨城インターチェンジ辺りで進路を吹田に向けますがこのまま国道171号線を行けば大阪国際空港を通り西宮に至ります。 
反対に行くと京都に行きます。京阪神間を繋ぐ大動脈が直ぐ其処にあるのです。

1944年10月着工してから1955年8月15日までの約10ヶ月間に41,000㎡という途方もない面積のトンネルが掘られました。(トンネルを全部併せると大阪ドームより少し大きくなる。)ちなみにこれ程の工事を担う人材が日本のどこに居たのだろうか?成人どころか学生までも戦地に駆り出していた当時、まさか病人や老齢者や子供たちではないでしょう。ではどこから労働力を確保していたのでしょうか?周辺地元民や学生も動員されていたというが、危険なトンネル開削に動員されたのは徴用という形で強制的に働かされていた約三千数百人と拉致同然に強制連行されて来た約600人の朝鮮人だったといいます。今では飯場跡も(一箇所を除き)見かけられなくなりましたが「タチソ」のある成合(なりあい)地区には何の保証もなく放置された朝鮮人たちがその後も日本社会の差別に喘ぎながら今でもこの場所で暮らしています。行って見て感じたのですが集落が狭い谷間の底を這うように広がり、一方では新興住宅地が谷間の集落を見下ろしている風景そのものが差別の縮図のように感じます。


JR高槻駅からバスで成合中橋まで行きます。バス停留所から谷に入っていきます。右手の一段低くなっている所に元飯場のあった集落が広がり、その先の斜面には第一トンネル群のある山が見えます。西檜尾川沿いにしばらく行くと第二トンネル群近くの琴堂橋のたもとにある「タチソ地下壕跡」の碑が見えてきます。



タチソ地下壕跡 銘文

 成合の山間部に散在する30数本のトンネル群は、高槻地下倉庫「タ・チ・ソ」の暗号で呼ばれ、崩落が続いているが、今なお当時の面影を残し、戦争の愚かさと悲惨さを語りかけています。
 米国戦略爆撃調査団報告書には「・・・このトンネル群は、当初陸軍の主要な貯蔵庫のひとつとして1944年2月になって川崎航空機工場として使用することが決定された。」と記されています。航空機工場部分は、16本のトンネルが掘られてゆき、旋盤などの機械類が部分的に搬入されましたが、完工を見ぬまま敗戦を迎えました。
 このトンネル工事には、周辺の地元民、大阪高医・北野中学・関西工業学校などの動員学生のほか、もっとも危険で過酷なトンネル開削の分野については、強制連行その他の手段で集められた、3500人ともそれをはるかに超えるともいわれる朝鮮人労働者が投入され、多くの死傷者が出たともいわれています。
 我が国は、先の戦争において多くの人名を失い、同時にアジア・太平洋地域の人々に大きな災禍と苦痛をもたらしたことを忘れてはなりません。悲惨な戦争を再び繰り返さないよう、恒久平和への誓いをあらたに戦後50周年大阪府記念事業として銘板を設置する。
1995年(平成7年)大阪府・高槻市



これより先は実際にトンネルの中に入って行きます。最初に第二トンネル群のT3坑口に向かいます。
記念碑から川沿いに進むと今は廃業してる「高槻砕石(株)」の残していった「発破作業見張り員立ち番所此の附近は発破作業に付き危険ですから御注意下さい。」という看板が見えてくる。この看板からもわかるようにここからは民有地です。みだりに立ち入らないようにしましょう。
これから山の中に入りますが、いくつかの注意事項があります。
自然を壊したり、汚したりしないのは当然のマナーとして心得てください。
また、道なき道を行くことになりますので足元には十分気をつけてください。歩き方のコツとしてはたとえば一歩々体重移動させながら確認するぐらいの慎重さがあれば大丈夫でしょう。
次に服装ですが一番肝心なのはやはり靴です。靴は丈夫な運動靴かトレッキングシューズの紐靴がいいですね。次に厚手のズボンと長めの靴下、長袖の服、手袋(軍手など)、タオル。少し大げさかなと思うくらいがちょうど良いです。夏場の暑い時期は辛いかも知れませんが直前に着替えるなど工夫してみてください。
次に持ち物です。持ち物で忘れてはならないのがヘルメットと懐中電灯です。トンネルの中は真っ暗です。懐中電灯なしでは入ることは不可能です。そして資料や筆記具をコンパクトに取り出せるように工夫することやカバンはなるべく肩から提げるかリュックが好ましいですね。運悪く雨が降るような天気の場合はカッパかウィンドヤッケを用意してください。荷物を何処かに預けられるならばウエストポーチに貴重品などを入れてなるべく必要なもの意外は持たないようにすることを心がけてください。何かと面倒臭さそうですがトレッキングの時の注意事項や服装持ち物にヘルメットと懐中電灯をプラスする感覚で考えてください。

事前の説明はこれくらいにしてトンネル内については次回に回します。

2009年5月28日木曜日



親舊達(チングドゥル)
☆せんしゅうユニオン結成20周年コンサート
Posted: 25 May 2009 08:24 AM PDT
☆せんしゅうユニオン結成20周年コンサート日時:2009年7月5日 (日曜日)開場:13時 開演:13時半場所:和泉市コミュニティセンター 3階 多目的ホール(JR阪和線和泉府中駅下車徒歩8分 和泉市役所敷地内)主催・申し込み:せんしゅうユニオン(大阪府和泉市池上町3-13-43)TEL:0725-45-8106FAX:0725-45-5697email:YIX04572@nifty.com
参加費:一般 1000円
高校生以下 500円

2009年5月27日水曜日

統一マダン神戸 9月27日(日)に開催決定

統一マダン神戸 9月27日(日)に開催決定

統一マダン神戸に変わらぬご支援を頂き、心より感謝申し上げます。
5月24日(日)に開催予定であった第13回統一マダン神戸は、新型インフルエンザの影響により秋に延期を余儀なくされましたが、開催日時が決定いたしましたのでご案内いたします。

日時:9月27日(日)11時
場所:JR新長田駅前広場


再び最初からの準備となり、宣伝物も改めて作らなければなりませんが、地域の皆さんに呼びかける時間が逆に増えたと考え、より楽しくすばらしいマダンをつくろうと、実行委員一同思いを新たにしています。
今後とも統一マダン神戸へのご支援の程、宜しくお願いいたします。

統一マダン神戸実行委員会
〒653-0015
神戸市長田区菅原通2-100-1ゴールドウッズ菅原ビル201A号
TEL/FAX:078-779-7880

2009年5月19日火曜日

第13回統一マダン神戸「開催延期」のお知らせ

統一マダン神戸実行委員会からの正式文章です。

第13回統一マダン神戸 「開催延期」のお知らせ

統一マダン神戸に変わらぬご支援を頂き、心より感謝申し上げます。
来る5月24日(日)に予定されていた第13回統一マダン神戸が、今年の秋に開催が延期になったことをご案内させて頂きます。
みなさまもご存知の通り、5月16日、日本国内で初めての新型インフルエンザ感染者が神戸市で確認されて以後、感染者が日々劇的に増加し、5月17日神戸まつりの中止や兵庫県下の学校休校等、の措置が取られています。
実行委員会では、5月18日緊急の会議を持ち、統一マダンを5月24日に開催するか否かの論議を行いました。その結果、「自粛」や「中止」ではなく、第13回統一マダン神戸の「延期」を決定いたしました。具体的には今年の秋―「9月27日(日)」か「10月4日(日)」―に開催延期とすることになりました。
現在の状況での開催は、参加者の激減によるイベントとしての成否が危ぶまれることと、何よりも、地域に対して朝鮮半島の平和と統一を訴えてきた統一マダンが、逆に地域の支持と共感を得ることが出来ないのではないか、と判断したのが理由です。
5月24日に向け、多くの準備と協力を頂いたみなさまに対して誠に申し訳なく思っております。しかしこの悔しさを糧として、延期した秋に開催される統一マダンをよりすばらしいものにしよう、と実行委員会一同決意を新たにしています。
今後とも統一マダン神戸への変わらぬご支援を再度お願いし、第13回統一マダン神戸の秋(9月27日又は10月4日)への開催延期のご報告とさせていただきます。

分断の悲しみの涙を 統一の歓喜の涙に!


2009年5月19日統一マダン神戸実行委員会 実行委員長 崔孝行