2009年5月4日月曜日

憲法記念日において


憲法記念日の朝日新聞の社説では「貧困、人権、平和を考える」と題して憲法25条を取り上げていた。
平成の大恐慌で職を失い、住む所を失った人が急増している世相を反映している。
「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」を謳うこの憲法25条はGHQの草案にもなかったし、当時の欧米諸国の憲法にもない先進的な条文だそうだ。このように人権に対して先進的な意識を維持し、育てることが出来ていたなら日本という国はもっと住みやすい国になっていただろうにと思うと残念でならない。
現実は朝日茂さんの「朝日訴訟」にも見られるように理想とは程遠い。そして今も生存権訴訟は続いている。
また、憲法9条に関しては「憲法9条を守るかそれとも変えるかもしくは分からない」の3つの選択肢に対してのアンケートを行ったが憲法9条そのものを知らないという人が多いのに驚いた。調査する側からは判断に対する如何なるアプローチも絶対しないというスタンスで始めて約1時間の間に198名が投票し、守ると応えた人が149名、変えると応えた人が28名、分からないと応えた人が21名だった。結果は守ると答えた人は7割5分と圧倒的だったが一部のマスコミ等では朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)が日本に対して挑発行為をしているとは到底思えないのに朝鮮共和国(北朝鮮)の衛星ロケットをミサイルと決め付けて危機感を煽り、戦争の出来る国へと変えて行く手助けをしている。憲法9条を変えるべきと答えた人の中には“北”から 攻めて来られた時のために必要だと答えている。朝鮮共和国(朝鮮民主主義人民共和国)が日本に向け先制攻撃をするなら、このように危機感を助長させるような行動に出るだろうか?もし、そう考えているのなら余程の世間知らずか朝鮮共和国を蔑視しているとしか思えない。
朝鮮民族はかつての日本国による植民地化に対する恥辱を忘れてはいない。二度と過去の二の舞をしないという強い意志が決して妥協しないという強固な姿勢に現れている。朝鮮民族は分断されたとはいえ、南の韓国(大韓民国)においても何ら変わらない。来年1910年に日本により植民地化されて100年を迎えるが、「国恥100年・・・」という風に決して忘れまいとする意志が強いのがわかる。米国の脅威がなくなれば核も必要なく、わが朝鮮民族も再度の蹂躙に対する恐怖もおのずと薄れて行くことになるのではないかと思う。日本が黙っていれば全ての問題はスムーズに運び、結果的にそれが日本の平和のためになる事は日本の政府は十二分に承知しているのでは?という疑問が湧く。憲法9条「改正」のためにはあくまでも朝鮮共和国(北朝鮮)が危険な国であり続けていてほしい日本政府としては6カ国協議を邪魔し続けることが必要であるという計算が見えてくる。

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