2008年10月20日月曜日

劇団タルオルム 第四回公演 「ゆらぐ」(マダン劇「記憶」)

劇団タルオルム


第四回公演 「ゆらぐ」(マダン劇「記憶」) 

  

20081018日(土)14時/19時開演
        19日(日)13時/18時開演
大阪人権博物館 リバティホール
566-0026 大阪市浪速区浪速西3-6-35
TEL
06-6561-5891 http://www.liberty.or.jp/ 

  

  

大阪人権博物館 リバティホールという場所を生かした演出で最初は大阪人権博物館の中庭を舞台にマダン劇「記憶」を演じ、後にリバティホールで「ゆらぐ」を演じた。 

  

雨だとどうしていたのか聞いていないが当日は10月の下旬にしては暖かく、汗ばむ陽気だった。空は雲ひとつ無い青空で日陰では爽やかな風が吹いていた。 

  

演者がチャングを抱えて登場し、演奏するところから始まり、四方の登場口を利用して衣装替えなどしながら登場してくるところが見られるのも野外のマダン劇ならではの醍醐味で物語の時代は1923年の関東大震災の東京から始まります。 

紡績工場で働く女工へ支払われる給金の額が朝鮮人と日本人で差別されている場面では「朝鮮人の癖に、給金を貰えるだけでも感謝しろ!」(台詞は正確でない。)という台詞に亡国の民の恨(ハン)が頭の中をめぐった。炭鉱や橋梁等の土木工事で奴隷のように働かせられた人たちや日本軍により慰安婦とされた人たち・・・。ふと、まったく話しの筋とは関係ないが麻生太郎首相(公演当日)の顔も浮かんだ・・・。 

  

舞台(マダン)では政治家と財界人と軍人がコミカルに皮肉たっぷりに演じていた。重いテーマにこの演出はホッとさせられるし、劇に集中するキッカケになって行った。そしてこれこそが伝統を継ぐマダン劇の真髄ではないかと感じた。

  

休憩の後リバティホールで「ゆらぐ」が始まった。時代は1994年の神戸。結婚式を迎える若いカップルとその家族を中心に物語は進みます。かつて関東大震災を経験した若き女工は70年の時を経てこの後1995117日の阪神・淡路大震災に遭遇する。そして彼女はひ孫の誕生とともに息を引き取る。 

  

この設定が特別なものではなくごく普通に生活する在日朝鮮人の子孫たちのひとコマを切り取った場面の連続である事は50年生きて来たわたしの人生と重なるさまざまなエピソードでも確認出来ました。 

  

わたしの父方の祖母は1910年産まれで1923年の関東大震災当時、十三歳でした。当時、女工だった主人公とほぼ同じような年代ではなかったのかと思います。わたしの父方の祖母は日本に来るのは1932年(昭和7年)、わたしの父を産んで直ぐだったそうなので関東大震災の時、日本に居ませんでしたが1995117日の阪神・淡路大震災ではショックからかその年の夏に他界しました。また母方の祖母はなくなる前、日本語がわからなくなって来ていました。 

  

わたしの妹が阪神・淡路大震災の当時、身篭っており、産み月が2月の予定でしたが旦那の父親が地震のショックで亡くなったりわたしや両親が被災したりした事によるストレスから早産します。そして2年後、わたしの父は他界します。 

  

今回の演劇ではマダン劇「記憶」で感動し、「ゆらぐ」ではその場から逃げ出したいほどの衝動に駆られました。在日の暮らしに根を張る劇団の姿勢は時にはこんなにも当事者にはつらいものになるとは思いませんでした。それだけ今回の演目はわたしにとっては完成度の高いものだったのでしょう。

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