2008年10月21日火曜日
アジア・大阪交流史~人とモノがつながる街~
大阪人権博物館 第62回特別展 アジア・大阪交流史~人とモノがつながる街~
10月15日(水)~12月21日(日)
開館時間:10:00~17:00(入館は16:30まで)
休館日:10月20、24、27日 11月4、10、17、25、28日 12月1、15日
大阪人権博物館
JR環状線「芦原橋駅」下車南へ約600m
特集展示の「日本の歴史と差別問題」では宗教が創り出す差別の仕組みがこんなにも恐ろしいものなのだと改めて感じた。差別は人類が産まれた時点から存在し、今後も無くなる事の無い永遠の課題です。だからこそ常に意識し、啓発し続けることが重要なのです。自分の中にある差別意識の幾つかはやはり宗教的な考えから来ていることで違和感無く受け入れられています。自分自身も回りの両親や兄弟友達までもがそれと気付かない事でも宗教の違う人や生活習慣の違いなどから急に違和感がふきだし、これが差別へと繋がって行くのです。無意識の差別は性質が悪い。罪悪感もなしに人を傷つけることがあるからです。幼い子どもが学ぶ時のように常に無垢のままでいる事がかなうなら、そしてまた、みんながそうであれば差別は無くなるのだろうか?
大阪は古代、中世から、難波津や堺などの港を玄関口に、中国・朝鮮・琉球、「蝦夷地」などの国や地域、人びとと交流し、相互に影響を与えながら歴史と文化を育んできました。
近世においても、経済都市として海路によって日本各地と結びつくと同時に、文化や思想、教育の分野でも新しい流れをつくりだしました。豊臣政権の文禄・慶長の役により、国交が断絶していた朝鮮からの通信使は近世になって再開されました。江戸参府の途中、瀬戸内海を通り大阪で下船し、川船に乗り換えて淀川を上る琉球使節、朝鮮通信使の行列を、大阪の人びとは心待ちにし、歓迎しました。 近代になると、紡績をはじめとする世界の新しい技術を積極的に受け入れた大阪は「東洋のマンチェスター」と呼ばれる日本一の工業都市として発展しました。大阪と朝鮮、沖縄を結ぶ定期航路が開かれたこともあり、朝鮮、沖縄から多くの人びとが仕事を求めて海を越えました。大阪に移動、移住した人びとは、差別を受けながらも大阪の地に生活の場を築いていきました。 本展では、「アジアの玄関口」であった古代から現代にいたる大阪の歴史を資料によってたどります。そして、21世紀をむかえた今、大阪に生きる人びとが築いた歴史・文化から「アジアのなかの大阪」を再発見し、大阪の未来を考えようとするものです。
2008年10月19日(日曜日)劇団タルオルムの公演の合間を利用して見学して来た。
第62回特別展 「アジア・大阪交流史展」と特集展示の「日本の歴史と差別問題」を結局、始まるまでの1時間と終わってからの1時間の合計2時間かけて見てきた。
「アジア・大阪交流史展」では中世の渡来人文化の中でも特に大阪は百済人の王国と言ってもいいくらいの時期があったことが資料を通して確認出来た。
また、琉球との交易も盛んであったようだ。
近世では室町時代以降豊臣秀吉の時代を除くと江戸時代まで友好的な関係は長く続いた事を示す資料が豊富にあった。しかし、日本におけるアジア蔑視感はこの江戸時代から既に始まっていた事が琉球への差別的な対応を見ればわかる。
明治以降の日本は西洋人に対する劣等感の裏返しとしてアジア蔑視に拍車がかかってきた事は資料の中に友好的なものがなくなってくることで実感できる。
劣等感といえばやはり豊臣秀吉であろうと思う。不幸な歴史は劣等感が作り出す極端な蔑視という形でで繰り返されてきたのであればこれほど悲しい事は無い。
アジアの盟主といわれるようになってきた日本国は先の過ちを心から詫びることの出来る度量を見せて欲しい。その後、中世、近世の友好であった時代を彷彿とするような良好な関係を結んで行こうではないかといいたい
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